日頃働いて感じる悩み的な感覚を書いてみます。同じことを思う人に、このページを読んでもらえたらと思って書きます。

 

上手くいったことを喜べない、上手くいなかったことを喜んでしまう

良いことを喜ばないで、良くないことを喜ぶと書くと、筆者が相当なMなのかと思われるかもしれませんが、そうではないです。

上手くいく、上手くいかない主体は、自分個人ではなく、自分が関係する組織やプロジェクトです。

どういうことかというと、あるプロジェクトが上手くいって売上等の成果を上がったことに対して、周りは喜んでいるのに自分は喜べなかったり、逆に成果が出ず失敗として終わったことに対して喜んでしまうということです。

そして、そのことに対して罪悪感を感じてしまう。

なぜ、そう思うかというと、理由は簡単で、結果やそれまでの過程に対して自分自身は納得がいってないし、不本意だからです。

一言で言ってしまえば自分勝手な考えですが、自分の感情を無視するわけにも行かず振り回されてしまうんですよね。

さっき、誰か同じことを思った人がこのページを読んでくれたらと書きましたが、これってネットにありふれた普通のことですね(ドラマとかでもよくそういう登場人物を見ます)。きっと、SNSでもブログでも同じような投稿はいくらでも溢れていると思います。現に自分も見たことがありますし。そして、ひねくれた無意味な感情だということもわかっています。

この文章を書いていて、小学生のころ所属していたサッカーチームが大会で良い成績を上げたとしても、自分が活躍しないと落ち込んでいました。逆に負けても自分のプレーに納得が言っていれば嬉しかったですね。あの頃から何も成長してない。

 

組織の中で自分が存在していることの気持ち悪さ

気に入らないからといって、組織や仕事が破綻してしまうことを想像するのはあまりにも非建設的な考え方ですよね(そもそも自分は破壊的なことを考えることを好むという問題もあります。映画や小説でも現実でもディストピア的な情景を見たいと思ってしまいます)。

正論を言ってしまえば、正しいと思わないならば、それを変えるか、変えないならばその中でベスト尽くすか、それができなければ自ら去るか選択肢は限られてます。

変える気力がないならば、せめて今の条件でできることを一つ一つやろうとは思っています。

でも、結果がでると、その結果に対する感情は全く反対にいってしまうんですよね。

一生懸命やっている人に申し訳ないと思うし、なにより失敗を思い浮かべながら前に進むのはつらいです。あと、同じ行動をとっていても自分の中に残るものが少ないですね。何かが終わると毎回虚しい気持ちになります。

だったら、潔く去ったほうがいいのかもしれません。でも、去ったところでその先に向かうところが思いつかないんですよね。そもそも、不満があるからと言って理想があるわけではありません。ただ漠然と「イヤイヤ」という感情が渦巻いて、考えることを諦めているようにも思えます。

 

次を考えると同時に現状を見届けたい

じゃぁ、今後はどうするのかいうと、自分なりに、自分が、(できたら)組織がこの後にどうするのか考えたいと思います。

それは、理想のような整ったものじゃなくてもいいと思います。正直理想なんて思いつく自信がありあせんし、今の自分が考えたところで無価値なものにしか見えないと思います。

そもそも、理想って働くために必要なのでしょうか?人に聞いてみたいですが、そういう話を他人から聞く機会ってないですね。聞けばいいだけですけど・・・、自分が他人の理想を聞きたくないだけかもしれません。

ただ、現状を変える策ないのにあと何十年も働き続けるのはつらいので、自分のなかでこうすればいいという考えは期待せずに持っておきたいと思います。

その上で、環境(業界とか分野とか)を変えるかどうかという、まだとこの環境に留まってこの先に起こることを身をもって体験したいと思います。特に行きたいところありませんしね。

最近あらゆる物事には命のようにライフサイクルがあると感じますが、自分が動かなくても自ずと近い未来に結果は出ると思います。そのサイクルを見てみたいんですよね。そこには多分、次の自分自身を決める重要な情景があると思っています。

失敗経験をあまりにも積みすぎるとよくないとも思いますが、まだ失敗すると決まったわけではないです。それまで自分すべきと思うことをしていればいいのではないでしょうか。

まったく具体的なことを書かなかったので、ここまで読んでなんのことか?と思っている人も多いかもしれません(そういう人はとっくにブラウザバックしてますよね・・・)。でも、あぁそうだよねと思った人が一人でもいればうれしんですけど。

それでは。