コロナウイルス騒ぎで卒業式は中止になったのですが、卒業証書を受け取るのと集合写真を撮る目的で大学には行きました。

3月の後半になっても感染者は増え続けていて、グラフを見ると指数関数的に増えていく感じです。これは、就職してからも影響がありそうですね・・・(とりあえず自分が罹らないように気を付けます)。

それで、卒業する際に飲み会やらSNSやらで、大学院で学ぶことについて話している人がいました。

まぁ、うちの大学の院にもいろんなやつがいるんで、院生をやっている意味は人それぞれだと思うんですけど、”大学院を卒業して工学の修士号を取った”という点においてはみんな一緒なので、今日、院を卒業した全員に共通している何かが存在していると思ったんですよね。

で、思ったのですが、その何かから大学院で進学する人ってどんな人間なのかわかるのではないでしょうか。

ということで、大学院(理系をメインに考えます)に進学しようかしまいか、悩んでいる人に向けてどんな人が院進に向いている人はどんな人か考えたいと思います。

 

 

全員に共通しているものは研究や開発への興味

 

自分の周りの卒業生(修了生)は口々に研究室での思い出話を話していましたが、やっぱり研究室よって環境は本当に違うので、ブラックな思い出がある人もいれば、悠々自適な日々を過ごしていた(研究室に遊びに来ていた?)人もいますし、同じ院生でも大学院生活は人それぞれだったみたいです。

さらに、同じことをしていても、それが苦になる人と苦にならない人がいるみたいで、同じ作業をしていてもそれがその人にとってどういう経験だったのかは違ってくるのかもしれません。

でも、結局のところ何かを作ったり、データを出したり、理由や理論を考えることへの関心というのは全員が持っていたようです。

ただ、その関心というものがみんな一つのところからやってくるわけではなくて、あれやこれやと試行錯誤することを好んでいた人がいれば、調べたたり作ったりするスキルを身に着けたいと考えている人もいます。

まぁ、ここは工学部なので何かを形にすることに熱中する人が一番多かったですが、その中でも特定のものに関心がある人と開発するものは何でもいいと思っている人がいて、おもしろいと感じました。

そうなんで、これからも進路の話を聞くと何かを作るという人が多いです。研究・開発職ばかりというわけではありませんが、自分の仕事を通して世の中に新しいものを生み出していくことは共通してこれからも続けていくことになります。

そもそも、世の中の仕事のほとんどが、広い意味で何かを作ることに関係してるのではないでしょうか。「商品を作って、お客様に売って、お金を稼ぐ」ことが商いの基本だと思うんのですが、他の人が売ることと、稼ぐことに注目しているのに対して、ここの人間を作ることに注目しているのではと思いました。

 

 

大学で学ぶことと社会で働くことの違いは最終的な目的が自己のためかどうか

 

就活をしている時、大勢のOBに会いましたが、研究室でやっていたことと今、会社でやっていることは分野が違うだけで大して変わらないという話を結構聞きました。

僕自身も、研究室全体の目的の達成のために自分のやるべきことを考えて行動していたのですが、実際にやっていることは毎週の週報で指示された結果を出すために、毎日研究室に来てプログラム書いていることがほとんで、結局IT系の会社に就職することになったので、大学院を卒業しても同じようなことをしている可能性は高いです。

で、その話を地元の大卒や高卒の友達にすると、必ず「なんでお金をもらえないのにそんなことをやってるのか?」と聞かれるわけです。

あまりにもめんどくさかったり、理不尽だったりする作業をやっていると、たまに僕もお金をもらわなきゃこんなことやってらんないと思うこともありすし、学生のことを労働力と考えている先生もいます。

数は多くないですけど、特許をとったり、共同研究先の製品に自分の研究結果が使われる人もいますしね。

そうなってくると、外の人から報酬がないのに頑張る意味ってあるのかと疑問を持たれてもしょうがないと思います。

それでも、大学院生が大学に残る理由は、動機はどうあれ研究がしたいからです。

これがこの記事の結論で、研究がしたいなら大学院に残る意味は十分にあるし、そうじゃないなら院進してもあまりメリットがないと思います。

先生の圧力があったり、学会や論文のために無理して結果を出すということはありますが、結局みんな研究がしたいから研究しているんです。

そして、もう一つ大学院と社会の違いは、大学院では自分の成長が一番の目的であって、他のことは2の次、3の次なんですよね。

逆に社会では、結果を出すことが最優先になるわけです。そうじゃないと食っていけませんからね(職直前の僕が言うのはおかしんですけど)。

会社でも、技術書やセミナーなど学ぶ機会はあると思いますが、それはあくまで業務のためのサブの要素で、すべては結果を出して利益につなげるための手段でしかありません。

一方学生ならば、自分が学びたいと思えば、堂々と本業とは関係ない授業をとれますし、自分が必要だと思えば文献をいくらでも読むことできます。

ついさっき僕はその環境を失ったわけですが、そのなかで学ぶことができるなら大学に残る意味はあるのではないでしょうか?

つまり、院生活はインプットの時期なんです。

 

 

研究・開発に興味がないと2年間はわりに合わないと思う

 

ここから、話を戻してどんな人が大学院に進んだ方がいいか考えます。

あくまで自分の周りからだけの知見ですが、20代の2年間(博士の人はさらに3年)を大学に捧げて、就職後に必ずその分の労力を回収できるかというとそうではないと思っています。

確かに、生涯収入のデータをみると院卒の人の方が平均値が高いですが、そもそもこれまでに大学院を卒業した人たちは、もともと専門性が高くて、そこそこの学歴を持っている人たちなので、院を出た人がもし学部で社会に出ていた場合と収入面の比較するとしたら、差がそんなにでるとは思えません(さらに奨学金や両親への負担もありますしね)。そもそも報酬面で院進の是非を考えるのも間違っているのかもしれません。

だから、大学進学のように義務教育の蛇足として、みんなとりあえずしておけばその後payできるというものではいと思ってください。後悔する可能性もあります。

じゃぁ、どういう人が大学院に来た方がいいかというと、やっぱり研究という大学院でメインでやることがやりたい人になるんですよね。

結局、好きでないと大学院生活はやってられないですね。

そして、社会に出てもその経験が自分の目指す道への進むための武器になるのではないでしょうか?少なくとも、僕はそう思って院に進学しました。

ただ、修士号があれば絶対希望の職業につけるなんてことは全くないです。実際、割とちゃんと大学院生やっていたつもりですが、自分が社会に出て自分がやろうとしていた仕事をやり遂げる自信なんてありません。

最終的にそれをかなえるのは自分次第でなのではないでしょうか。

修士課程での時間はそのための足掛かりで、修士号を僕の能力を外に示すための一つの指標でしかないわけで、本当に大学院を出て良かったかわかるのは10年後や20年後になると思っています。

そう考えると、2年間という長い期間をインプットのために仕えたのは有意義でした。

逆にそう思うことができないのなら、大学年の2年間は辛くて無意味なものになるのではないでしょうか。

 

研究がすべてという人が周りにいるのは結構重い

 

アカデミックな世界には、仕事も趣味も友人も家族も生きる目的も研究という人がいます。だからといって自分がそうなる必要はないですし、僕はむしろいろいろなことを同時並行で挑戦していくことで、相乗効果があるということを大学院生活から学びましたが、自分の周りにそう考える人がいる以上、その人たちに合わせないといけないんですよね。

よく、平日に就活やバイトに時間を使うから、代わりに休日に研究室に行くということをしていましたが、学校に行くと土曜だろうが、日曜だろうが、祝日だろうが大学にいるという人は教員でも学生でもまあまあいました。

院から入った研究室の先生もまさにそのタイプの人で、休みの日に研究室に行くと必ずいるし、ゼミ終わりや年1の飲み会で話す話は研究に関することばかりでした(仕事人間とも言える)。

僕の先生はそれを一切学生に強いることはしませんでしたが、中には休日稼働を矯正したり、バイトや部活をやめさせる人もいます(めったにいませんが)。

個人の自由がある程度保証された院生は、何をどう学ぶかも学部生より個人の裁量に任されているので、バイトや趣味、学校以外の活動と両立しやすいですが、大学がすべてという人が周りにいる場合そうも言ってられなくて、巻き込まれます。

自由があるということは、当然研究に打ち込みたい人の自由を奪うことも許されない分けで、例えば2人いないと使えない実験機材があれば、片方がそれを動かすと、もう片方も駆り出されるし、共同で取り組んでいることがあれば進捗スピードを合わせる必要があります。

大学以外のことで忙しいから進められないじゃ済まされないわけです。

まぁ、自分のペースでやりたいのなら、なるべくテーマが個人ごとに別れていて、干渉しない研究室を選べばいいわけですが、そういうところは他人にしてあげる必要がない反面、誰かが自分にしてくれることもないので、すべて自力で研究を完結させる必要があります。

先生によってはすごくサポートが熱くて、何でもかんでもやってくれる人もいますが、僕は正直、そういう関係は重たいと感じていました。

学部時代の研究室の先生は、プライベートにも干渉してきて、山登りや飲み会を学生に強制さていましたが、あの頃は研究室にいることがとにかくしんどかったですね。

勝手な想像ですが、研究が全てで趣味も家族も研究となると、教え子に対して自分を押し付けてしまうのだと思います。

もちろん、そうじゃない人もいっぱいいて、趣味や大学以外の人を大切にしている人もいるし、むしろ大学での仕事や学生への興味を失っている人もいます。

 

ここまで読んだ人は、なにが言いたいんだって感じだと思いますが、結局のところ大学院は個人と研究室の組み合わせによって人によって全然違うことすることになるので、大学院に行く理由なんて人それぞれでいいんです。

若いうちに裁量を持って何かに取り組めることはすごい有意義なことなんで、あなたらしい大学院生活を送ってください。

ただ、一つだけ言いたいことは、興味がないことを、それに好む人間の中でやり続けるのはかなりつらいってことです。

 

それでは。