今年度ももう10月になりました。あと半年で就職するなんて信じられないですが、これ以上大学に残るのも気が引けるので社会人になろうと思います。

大学で過ごした6年間を振り返ると、前半の3年間は学部生と授業を受けていて、後半は研究室にこもってました。前半はサークルのこととか、バイトのこととかいろいろな思い出があるのですが、学校内での思い出は後半の研究室でのことの方が圧倒的に思い出が多いです。

学部と修士で所属した研究室が違うのでその分多くの仲間と研究を進めたし、2人の先生のもととで研究をしたので印象に残ることが多かったのだと思います。テーマも終始自分がやりたいこと突き詰めてきたし、進めていくうちにどんどん新しいことに挑戦することになっていろんな意味で刺激の多い3年間でしたね。

まぁ、満足だったし、やり残したことはこの半年間でやりきろうという感じなのですが、もう不可能なことでこれだけはしておきたったことがあるんですよね。

それは

若い先生のもとで研究をしたかった

人によって意見が分かれそうですが、共感してもらえる人は結構多いはず。

今の先生には特に不満はないんですけど、一度でいいから若い研究者(30代くらい)のもとで研究を進めてみたかったです。でも、普通かかわる先生は一人なので、若い人のところに行かない限りこれを実現することはできないです。

まあ、別に研究室を取り仕切ってる先生が若い必要はなくて、ポスドクなり、助教なりで若い人がいればいいんです。

ということで、これから研究室を選ぼうとしている人に向けて、ガチで研究経験を積みたい人は若い人(博士以上できれば外部から来た)がいる研究室を選んでおいた方がいい理由を説明したいと思います。

特に、これから大学に残ってキャリアを積みたい人は必読です。

 

 

単純に国際学会や査読付きの論文の執筆に関われる可能性が高い

 

まずは、一番形式的とか具体的な理由です。

あとで、説明しますが若い人のほうが研究に使う時間が多いので、研究成果が多い傾向があります。さらに、ポストや出世のためにも研究成果が必要な場合が多いので、活発に成果を発表するわけです。

で、学生が研究室に所属する一番の目的は研究活動の中で勉強することです。まだ、半人前の理系人として一人前になるためのスキルを習得するために精進します。

ですが、研究を発表するというのも貴重な経験だと思うんですよね。

自分は国内の学会にはちょいちょい顔を出しますが、毎回同業の人と話し合うことから学びがあるんですよね。そもそも、初めて会った研究者と議論すること自体が勉強になります。

文章をまとめるというのも、研究者というか理系人の大切な能力でそれを研究室という先輩がいっぱいいる中で指導してもらえながら進めるのは貴重な環境だと思います。民間に就職する人も含めて独り立ちしたら、論文や報告書は自分で試行錯誤しないといけなことを考えると、プロ中のプロの研究者の指導の下で文章を書けるのは重要な学びじゃないでしょうか?

さらに、打算的な見方をすると、学会に行ったり論文の執筆者に名前を載せてもらったりすると、自分の実績になります。研究者を目指す人はもちろん実績は必要ですし、研究者にならない人でも、例えば学会参加などの実績で奨学金の返済が免除されるなどメリットは大きいです。

あと、国際学会への旅費はもちろん研究室の予算から出すもので、会期中自分の出番は1時間もなくて、聞きたい発表もそんなにないわけです。なんで、大体暇なときはみんな観光しています。

それがマジで羨ましいです。僕は、

まぁたまに研究室の予算が足りないと学生が自腹を切ることがありますけど、研究室の予算って先生が助成金をたくさんとってくることで増えるもので、若い人の方がどん欲に申請書を書くのでお金を持ってるイメージがあります。偏見(もちろんたくさんお金を集めるお爺ちゃんもいます)

 

 

研究者は歳をとるごとに徐々に第一線からフェードアウトしてしまう。

 

情報系のエンジニアには35歳定年という言葉がありますが、これも理系全般に言えることで、先生も徐々に第一線から遠ざかっていきます。大学関係者は40歳が一つの節目でしょうか・・・。

じゃあ、大学の研究者が研究職を引退して何するかというと、実はやることはいっぱいあって、まあ一番の仕事は教員として講義を行ったり、教材や教科書を書いたりするわけです。あとは大学の運営で、役職が上がると研究職というよりは管理職的な立ち回りが増えて、大学という巨大な組織をどう動かすかについて考え始めます。

研究室の中でも自分でデータを取るよりは指導的な立場がメインになります。他にもメンバーがだしたデータをまとめて

講演や論文執筆に専念したり、助成金を申請したり。

そういう仕事が増えて研究や学習に時間を割けないというのもあるし、これは僕が勝手に言ってるだけですが、記憶力も体力も注意力も衰えてゴリゴリに研究するのがしんどくなるんだと思います。ついでに、どんどん若くて優秀な研究者が現れるので、自分はポストを空けて後進に活躍してもらいたいと思うのかもしれません。

で、年配の方でも普通に講義で関わるならそれでいいのですが、研究の学びの基本は見て盗むことで、先生がバリバリに研究してないと盗むことができません。まあ、ポスドクとか助教とかがいればその人から盗めばいいですし、さらにその下の博士や修士からも盗めますけどね。(下に行くほど学ぶことは減ります)

ついでに、学生へのアドバイスも実践から遠ざかると少しづつキレがなくなってきます。

さらに、新しい知見がどんどん出る中で自分の知識を更新していくスピードが世の中に追い付かなくなるというのもあるのかもしれません。

学会に行くと若くてバリバリな人がたくさんいますが、いつも圧倒されるんですよね。それと比べると自分の周りの先生たちは・・・って思ってしまいます。申し訳ないですけど。

まぁ、これは自分も例外じゃなくて、理系の世界にいればいつか衰えた感じる日が来るのかもしれません。来ないように頑張ります。

 

 

新しい研究分野で研究できる

 

研究室に入ったことない人は知らないと思いますが、研究者だけじゃなくて理系の人間は全員、自分の知識やバックボーンがオワコンになるという恐怖と戦ってます。

これはどういうことかというと、自分が精通している分野や技術、知識が世の中から必要とされなくなって、自分自身の価値すら見失うということです。

ちなみにこの問題は理系を志した人間全員に当てはまる問題です。

すごい雑な例えをすると、ある製品の材料を素材Aで作る技術を持っていて、ある日それよりも質も価格も優れた素材Bが開発されると、素材Aが必要なくなる的な。

もう少し、理学っぽい例えをすると、ある分析技術で宇宙に関するある謎を何年も研究してきたのに、全く違うアプローチすべて解決されてしまい、今までのテーマの研究価値が落ちてしまうとかですかね。

実際は素材やアプローチによって長所短所があるので、完全に価値がなくなることはないです。それでも、流行り廃れはあって日本メーカーの技術が海外発の技術革新でオワコンになる的な話はよく聞きますよね。

そうなったら、そのエンジニアだけじゃなくて、その会社の存続も危ぶまれるし、関係している研究者の立場もなくなるわけです。

まぁ、これは研究者になるつもりのない人は就職後に新しい分野に挑戦すれば良いし、研究者でも一つのテーマが終わったなら、新しいテーマを見出せばいいですけどね。

ただ、新しいテーマを開拓する姿も若い人からの方が多くのことを学べる可能性は高いし、若い人の方が扱ってるテーマは新鮮なことが多いので、先生の研究分野や地盤をそのまま引き継ぎやすいのは確かです。

逆に、もうテーマ的には古いけど、研究にさくリソースがなく、現状に甘んじている人のもとにいると、自分が独り立ちしたときにどうやって方針を定めていくかわからないということになるように思います。

 

同じ大学の研究室でも研究成果を量産しているところがあれば、そうでないとこもあります。で、それと先生の年齢は関係なくて、若くてバリバリ結果を出している人もいますし、まだまだ駆け出しの人もいます。超ベテランだからすごいわけでもないし、年配だからってみんなが第一線から退いてるわけでもありません。

さらに、自分的にはガンガン結果を出すとこに行くのも、なかなかうまく行かないとこに行くのも両方いいところがあると思ってます。

バリバリととこなら、早いうちからいろいろな経験ができますし、的確なアドバイスがもらえます。うまくいってないとこはそういうわけには行きませんが、うまく行かない研究をなんとかおし進めた経験は貴重な経験だと思います。

ただ最後に僕が言いたいのはどうせ足掻くのなら、数年後にはなくなってしまう研究室よりも、これからいろんな未来が開ける若い研究室のために貢献するほうが頑張りがいがあるということですかね。

 

それでは。