あけましておめでとうございます。2017年がやってきましたね。今年は皆さんにとってどんな年になるのでしょうか?

今年ももしくは、今年はいい年になるといいですね笑。僕は今年こそいい年になることを願ってます。

 

気が早いですが笑、2020年ここ東京でオリンピックが開催されます。あと3年ですよ、あと3年。初めは関心を持ってる人は少なかったようですが、国立競技場から始まったオリンピック会場問題はここ1,2年の間、常にニュースになり続け、いろんな意味で注目を集めることになりました。とりあえず決着がついた状態で新年を迎えることができてよかったですね。

 

オリンピックの日本開催が決まったのは2013年9月のことです。当時、最終プレゼンで滝川クリステルさんが使った”おもてなし”という言葉が流行語にも選ばれるほど有名になりました。日本はおもてなしの国。以前から何となく日本人の中にあったイメージがこの言葉によって具現化されたのです。ニュースの中でオリンピック招致にかかわった国際派の人たちがこぞってこの言葉を使っているのを何度も何度も聞いているうちに、僕も天下り的に「日本はおもてなしの国なんだ」と納得していました。

皆さん”おもてなしの国”に対して違和感を感じませんか?最初は納得もののなぜ日本がおもてなしの国なのか根拠がわからず、だんだんと本当に日本はおもてなしの国なのか疑問に思うようになりました。

 

日本人は暖かい?日本は外国人が旅しやすい国?わかりませんでした。それは日本を僕は今まで出たことがなかったからです。それにちょっと旅行に行ったぐらいじゃ現地の人のことはわかりませんから、これは僕だけじゃなくてほとんどの日本人に当てはまるこだと思います。本当はみんな日本がおもてなしの国なのかわからないのに、そう思い込んでいるか、疑っているか、どっちか。でも深く考えたことはないって感じではないでしょうか。自信をもって日本人はおもてなしの国だって言える人はあんまりいないと思います。それは招致委員会の人たちこれは同じはずです。

 

そんな中、海外に1か月間だけ留学して思ったことがあります。

 

 

日本はおもてなしの国ではない。

これが結論です。日本はおもてなしの国ではありません。留学先のアリゾナの人たちが暖かい、というより陽気で、彼らと比べると日本人は暖かくないですし、現地語(日本語)が不自由な人の気持ちに立って考えると日本は旅行しにくいです。

 

アリゾナの人は本当に陽気な人々でただ、街を歩いてるだけでもいろんな交流がありました。ただこれは後から考えてみるとアリゾナは田舎ですし、アメリカの中ではかなり住みやすい街みたいです。ですから、ニューヨークとかロサンゼルスだったら話は違っていたかもしれません。また、free-wifiとか、交通機関などのインフラの話も大学生の僕がとやかく言ってもしょうがないのでここでは触れません。一つだけいうとしたらあっちの方が道が全体的にきれいでした。

 

そこで、今回はマナーについて考えてみようと思います。これは外国人の方が来るからどうこう言う問題じゃなくて、普段から日本人としてこうした方がいいのではないかという提案です。

 

 

日本人は必ずしも礼儀正しいとは言えない。

日本人は礼儀正しいと思いますか?これは海外の人もそのようなイメージを持っているかもしれません。でも挨拶はできないし、他人に席や道を譲れない、謝るけど感謝はできないのに礼儀正しいというのはおかしいと思いませんか。

 

たぶん、日本人は礼儀正しい行動がとれるわけではなく、空気を読めて、ルールを守れるから礼儀正しいという評価を得たのだと思います。これはもちろんいいことではありますが、日本人にとっては当たり前のことです。でも、ルールが守れることと礼儀正しいことは違うと留学中に強く感じました。

 

留学先でこういう人をジェントルマンって言うんだなと思う人を何度も見ました。そして彼らの中ではそれが当たり前になっているんです。例えばドアの前で入る人と出る人が鉢合わせた時、先に取っ手を持った人が相手のためにドアを開けて待っている。そして、必ず開けてもらった人は相手の目を見て感謝する。電車混んでいたとしてもお年寄りには必ずだれか席を譲る。バスを降りす時は8割近い人が運転手に一言礼を言うし、店員にも挨拶する。”Have a nice day”と店員に言われた客が”you too”と返すのは見ているだけで気持ちがいいです。

 

他にも知らない人同士で何かを貸しあっていたり、満員電車の自転車用のラックの自転車をとりに行けない人がいれば、みんなでバケツリレーで車外まで運んでいたりと日本では見たことがない光景を普通に目撃しました。

 

日本人とアリゾナの人は何が違うのか、それは他人に対して受動的なのか能動的なのかという点において異なっていると思います。

 

ルールを守るということは既存の掟にしたがって行動しているだけなので、自分で何かを考える必要がありません。ですから、他人を目の前にして他人に思いをはせる必要がないのです。社会から下された命令に忠実に従うことは楽ですし合理的です。それに対して、礼儀正しい行動をとるには相手がそれによってどう感じるか予想し最適な行動をとる必要があります。ドアを開けたり、席を譲ったりする行為は相手のことを思えば自然にとれる行動ではないでしょうか。僕はバイト先でこの人は店員を人間だと思ってないと感じることが良くありました。確かに僕の仕事はあまり人間がやる必要性のない単純作業でしたが、機械のように扱われるとさすがに腹が立ちます。でも、その人は何もルールを破ってないのです。受動的に正しく買い物をしているだけで本人は何も考えてないのだと思います。

 

といいましたが、結局一番の要因は大多数の人間がどうふるまっているかです。みんな店員対して黙っているから誰も店員に感謝なんかしないし、逆にみんなが席を譲っているのを見て次は自分が譲ろうと思うのです。特に日本では空気は徹底して読んでいかなくてはならないものなので誰もあえて自分だけ違う行動をとろうとしません。

 

 

日本人が変わるには能動的なマナーが必要

アメリカで1か月間生活して、アメリカ文化がすぐれているところも日本文化がすぐれているところもたくさん見つけました。もちろん、それはいろいろ理由があってそうなているものなので劣っているからといって否定されるものではありません。でも、見らなうべきところもあると思います。それがマナーの問題です。逆にアリゾナの人たちは食に対して無頓着すぎました。(一人暮らしの大学生にとっては逆に見習うところかもしれません、現にものすごく影響受けましたし)

 

マナーを向上するためにルール化しても日本人の受動的な他人を思いやれない姿勢は変わらないと思います。ですから、意識を変えましょうという話になるのです。そこで毎日ちょっとだけ他人に対して能動的に行動してみてはいかがですか?慣れないことを長くやろうとすると疲れちゃうんで少しでいいです。例えば毎日乗るバスの運転手に挨拶するとか、商品を受け取ったらありがとうと言ってみるとか。

 

能動的に行動すると自分が傷つくことがありますが、「もし誰かが喜んでくれるかもしれないならそれでいいじゃん」と思うようにしましょう。私たちの行動で誰かがあ喜んでくれたとしてもそれは微々たるものですが、もしも逆に自分が傷ついてしまっても、それもまた微々たるものでしかありません。そして、空気を読めなくなることもあるかもしれませんが、みんなが不快に感じない行動ならいずれ社会に受け入れられるはずです。