現在、修士2年の2月です。

修論発表も終わったんで、あとの研究室生活は蛇足です。先生を適当にあしらって引っ越しのタイミングで研究室を去ればいいのかなぁって感じですね(名残惜しい気もします)。

調布での大学生活をしみじみと振り返っているのですが、大学院の研究室生活でまず思い出すのが、修士進学後、数カ月間あまりにも孤独過ぎておかしくなりそうになったことですね。

なかなかこんなに人との関わりを絶てることはないと思います。しかも家に引きこもっているわけじゃなくて、毎日研究室に行って自分の居室で研究しているし、週に数回が授業に出てもいたし、週末はバイトだってしてたんですが、毎週、ゼミも授業もバイトもないときに誰とも合わないということが続いてました。

 

2日間誰ともしゃべらない日があった

 

同じ人間でも、どのレベルの孤独を不快に感じるかは人によって全然違うと思います。

孤独への耐性っておそらくですが、先天的な形質と育った環境で決まるのではないでしょうか。

もの心ついたころから学校でも放課後でも割と一人でいたよーって人は別に人と全く話さなくてもさほど不快に思わないと思います(それでも耐えられない孤独はあると思う)。

逆に、家でも学校でも遊びでも常に他人と一緒にいた人間がいきなり誰もいない所に閉じ込められるとかなりきついのではないでしょうか。

で、お前はどうなんだって話なんですけど、一人っ子で両親とも忙しかった僕は家とかプライベートでは一人でいることを好むのですが、幼稚園生から大学3年までずっと部活でボールを蹴っていたので、オフィシャルな場では他人と関わりながら行動するのが普通でした。

例えば高校では、中学も同じサッカー部だった友人と毎日練習終わりに帰っていたし、宿題も他人と協力してやってて、授業でも隣の人に話しかけてしまって怒られるような感じで、しゃべることが好きな僕は家から出たらずっと誰かとしゃべってました。

そんな人間が修士課程に進学したある日、研究室から家に帰っている途中に「あれっ、この2日間声を発していないな・・・」と気づいたのです。

その2日間で唯一コミュニケーションらしい行動をとったのは、同郷かつ同年代のユーチューバーのゲーム実況を数分見たくらいで、それ以外に人間らしい活動を一切してませんでした。

どうしようもない閉塞感というか、自分がなにかの銅像にでもなって動けなくなってるみたいな、自分の生活に対する気持ち悪さみたいなものを感じました(意味わかんない文章ですみません)。ずっと吐き気がする感じです。

当時の僕は研究室(と専攻分野)を変えたことで、新しい分野について勉強しないといけないという気持ちと、シミュレーション系の研究室に移ったことで好きだったコードを書ける喜びによって一日中研究室にいて、それは自分で望んでいたことなのですが、その状況は低い僕の孤独の耐性レベルの範囲を超えたんですね。

 

 

原因はあまりにも個人主義すぎる研究室の方針と学年別の部屋割り

 

移った研究室は本当に個人主義で、結果だけ出して報告してれば一切研究室に来なくていいという方針で運営されていました。

なんでそこに移ったかというと、活気がなくて、いつ行っても先生以外誰もいないのは気になっていたのですが、やりたいことがドンピシャだったし、前の研究室を追い出される形で研究室を変更したので選択肢があまりなかったんですよね。

博士は現在2人いますが、プログラム自体は自分の家のパソコンで書いて実行はSSHやリモートログインで研究室内のPCに家から接続して実行させていました。

どうしてそんなに家にいるのか疑問ですが、おそらく研究室の他のメンバーは孤独を感じるレベル感が他の人と違うんですよね。あと、大学以外でしたいことがあるのだと思います(まぁ、博士・修士がそれでいいのかという疑問は残りますが・・・)。とりあえず、皆さん僕と違って大学以外に居場所があったのだと思います。

ついでに、そこはホントに謎なんですが、居室が学年ごとに分かれているんですよね。で、おなじ学年の他の2人は一人は部活のコーチ業が忙しく、もう一人は早々に不登校になってしまったので僕はずっと居室で一人ぼっちになったわけです。

修士になると基本、大学のコミュニティーは研究室になります。僕も学部4年は研究室のメンバーで昼食をとったり話したりしていました。研究室によっては飲み会が多いとこもありますが、ここは僕が企画しても年一で開催するのがやっとって感じでした。

前の研究室のメンバーとは疎遠になってしまって、わざわざ連絡しないと特にコミュニケーションとることはなく、さらに工学系の大学院生がわざわざ他人に連絡するということはめったにないわけです。たまに飲み会に顔を出したりはしていましたけど、

となると、僕は不定期に週末にやっていたバイトと週一の研究室のゼミ以外は全く人と話す予定がないということになりました。

(授業も専攻を変えてしまったので周りにあまり知り合いがいなかったです。ここらへんは大学院進学時に大学を変えた人のほうが大変かもしれないですね)

そもそも、いままで部活や研究といった何かの目的があること以外で人に会う習慣がない(そもそもプライベートという概念があまりない)僕の生活が悪かったと思います。初めて、なんでみんな休日が欲しいのか、そして休日に人に会いたがるのかわかりました。

 

 

どうやって孤独から抜けだしたか?

 

結論から言うと孤独から抜け出すというよりはうまく付き合うようにしました。

やっぱり環境がすべてで、研究室の個人主義という方針は先生が個人が一人で仕事するのが一番効率であり、研究者が集まったところでシナジーは生まれないし無駄という先生の価値観によるもので、メンバーもその先生に共感してきた人しかいないので、そうじゃない僕が修士から入ってどうこうできる問題じゃありませんでした。

それに、理由はいろいろあるにしても大学院生が研究室で孤独におちいるというのはありがちな話です。大学はもともとめっちゃ閉鎖的な世界ですし、大学に残る人間はいい意味でも悪い意味でも個人主義の人が多いですから。

で、とりあえずやったことを書くと、まずはプライベートでの行動量を一段階上げました。これまでの僕の考えだと休みの日はとにかく家で心と体を休めるという考えだったので、ノリが悪かったのですが、誘われなくても行動することにしたわけです。

例えば、サークルの友人の研究室でやっている昼休みのフットサルの練習に行けるときは呼ばれなくても顔を出すことにしました。ほかにもフットサル場で働く友人に人数が足りない時はいつでも行くから声をかけてほしいといっておきました。

結局僕はこれまでサッカーやフットサルでしか他人と交流することができなかったわけですが、逆にボールを蹴ることができれば他人とコミュニケーションをとれるので最低でも週に一回はボールを蹴ることにしました。

あとは昼食ですかね。

研究室で一人で学校で売ってるお弁当を食べていたのですが、学食で食べる回数を増やしました。で、あえて学部生がいなくて院生が多い昼の2時台に行って、同じように一人で食べているよ知人を見つけたら、とっつかまえて一緒に食べるようにようにしたんですよね。

研究室でも、ゼミ終わりにご飯に行かないか誘ってみたり、忘年会や打ち上げで飲まないかって言ってみることにしました。結局最初に言い出す人がいないだけで、言えば以外に研究室のメンバーの参加率は良かったです。

他にも、就活や授業やバイト積極的にしゃべることにしたので2日連続でだれともしゃべれないことはなくなりましたね。

ただ、これで孤独が解消されたかというとそういうわけでもなくて、今も研究室で一人でこの記事を書いてますがうーーんって思ってます。昔から自分の部屋で勉強できなかったのでそもそも誰もいない静まったところで作業するのが苦手なのかもしれませんね。

寂しい大学院生の思い出話でした。

 

[2021年1月追記]

この記事を書いてから一年が経とうとしていますが、大学の授業がオンラインになった影響かこの記事を読んでくださる方が最近増えた気がします。

もしかすると、自分が大学院時代に悩んだ状況と同じ経験をされている方が増えたのかもしれません。

 

今の自分の現状からお話すると、IT系の企業に就職して機械学習のモデルの研究開発(ができるように研修)をしています。

コードを書いたり、会議に出たり、資料を作成したりするのが今の業務ですがコロナウィルスの影響で出社するのは月に1回あるかないかという社会人生活です。

数年働いて、社内外に人脈がある人はテレワークになっても問題ないそうですが、入社したてでさらにリアルで会社の人とほとんどあったことのない僕はコミュニケーションの面でまぁまぁ苦労してますね。

毎日何かしら会議があるし、月に数回、気にかけて下さている上の方と面談する機会はあるので、大学のように一日中声を発さないみたいなことはなくなりましたが、それ以外は基本家に籠ってモニターと睨めっこしながら一人自己研鑽に励むという生活を送っています(感染リスクとセキュリティの問題で業務中は家から出れないのもキツイ)。

同期のみんなも口をそろえて辛いと言っていますが、大学院時代と何も変わらないなと思っています。むしろ、まだ業務的なやり取りがあるので今のほうが孤独を感じる時間は減りました。

 

前からそうだろうと思っていましたが、やっぱり大学よりも社会のほうが人とのかかわりは多いです。他人と協力して他人からお金をもらわないといけないので、いい意味でも悪い意味でもコミュニケーションは増えます。

逆に、書面だけで研究費や助成金がもらえて、論文という書類を提出すれば仕事が完結する大学という世界の閉鎖性はものすごいものがあるなと思いました。学会や授業などで言葉を発することはあると思いますが、大学での会話って一方通行が基本で言葉を交わしている量は少ないのだと思います。

この記事では、昼食やスポーツなどを通して他人とのつながりを増やして孤独を紛らわせたと書きましたが、それも今は難しくなりましたよね。自分も1月に入ってた予定はみんな無くなってしまいました。会社帰りにご飯に行こうという会話もしたことないですし・・・(出社しても知り合いに会わない)。

 

とりあえず、困っている方に伝えたいことは自分のせいにしないでほしいということです。去年も書いてますが、環境の影響を受けてしまうのはしょうがないことだと思います。

自分の周りのだいぶノリのいい人間も孤独に陥ってることを考えると、ノリの悪い自分がコミュニケーションに困るのは当然です。

ちょっと前に、政治家の方が会食がないと政治家どうしで情報共有ができないといったことが注目されていましたが、しゃべることが仕事の代議員の人でも会食という口実がないと会話できないのだと思いました。

家族でも、学校でも、会社でも、イベントごとの本質は人間がコミュニケーションをとるための口実でそれがないと人間は分断されてしまうのかもしれません(その最たる例が忘年会のような定期的な飲み会なのでは)。

このブログにたどり着いた皆さんは、コロナ+大学という特殊な環境によってその口実が奪われてしまったのだと思います。

 

でも、無理のない範囲の行動で今よりも一段階孤独の度合いを下げることは可能かもしれません(皆さんにどんな方法が当てはまるのかわかりませんが)。

そしたら、今よりもちょっとだけ楽かもしれないです。

ただ、完全に0になることはないのかもしれないとも思います(現に就職して完全に環境は変わりましたが、今も孤独だな思うことがあります)。

終わってしまったから今はこうして気楽にブログにかけますが、あの大学院での日々は孤独の向き合い方を学ぶ機会だったのかもしれないです。

 

それでは。