最近、 高校生向けの大学の説明会について行って高校生からの質問を受けるというバイトをやりました。

そこで理系大学生と聞くと、ノートに鉛筆で積分を解きまくっている様子をイメージしている高校生が少なからずいて驚きましたね笑。

とか言ってる僕も昔は理系大学では計算ばっかりやっていると思っていたような気がします。

いや、微積なんて解かないです。めったに!

まぁ、やってる内容によりけりではあると思うんですよね・・・。でも、僕も今の研究ではよく微分方程式を使うのですが、自力で解いたことはないです。てか、どんなに計算力があっても研究で出てくる微分方程式は人間じゃ解けません。計算はコンピュータがやってくれます。計算するためのプログラムを書くことはありますけど・・・。

じゃぁ、実際何をやってんだというと、文章を書いているんです!

レポートに報告書、そして論文と理系大学生は意外に文章を書く機会が多いものです。今まで文章を書いてこなかった人は必ずと言っていいほど苦労するのではないでしょうか。

ほとんどの理系大学の入試問題には文章を書かせる問題がありません。書いても3、4行。推薦入試でも小論文を出さないという大学さえあります。

ですから、 大学に入るまでに書いた文章は小学生の時の読書感想文くらいという人もいるかもしれません。そんな人がいきなり50ページを超える論文を書かされるわけですから、苦労するに決まってますよね。

でも、科学者として認められるには自分の成果を文章にして発表しその文章が他人に評価される必要があります。企業に就職したとしても文章力は必要です。

ということで、今回は理系の文章力について考えてみます。

『文章は短いほど上手い』

これは大熊秀夫さんの本のタイトルです。あまり読書はしないのですが、同時期に複数の人からこの本を勧められたので読んでみることにしました(僕の文章が長いからみんな進めてきたのか?)。読んでみたところ、そこまでいい本だとは感じなかったのですが、理系学生が文章を書くにあたって守ったほうがいいポイントが書いてあったので紹介したいともいます。

タイトルどおり『文章は短いほうが上手い』のです。この本は決して論文を書くために書かれた本ではなく、”一般的な文章はこう書くべきだ”というハウツー本みたいな本で、例文も小説や広告文などから引用されています。

理系の文章は常に何かを説明しています。実際に存在している何かを文字によって記録しておくための文章。そこが一般的な文章(文系の文章)との違いです。

文系の文章は文章そのものが創作物ですから、必ずしも文章が表すものがこの世に存在しているとは限らないし、むしろ手を加えた方がいいものができます。CMや雑誌の広告をイメージしてください。1から10,100と膨らます、時には0から何かを生み出すのが文系の文章。

それに対して、理系の文章は1から1以上のものは生み出すことはありません。組み合わせることでそれ以上の価値を見出すことはあるかもしれませんが、何もないところから何か生み出してしまったらそれはねつ造ということになります。

この本では、理系が書く文章をわかりやすく、忠実に事実を説明する方法が紹介されていました。

文章が短いとはどういうことか、具体的な例を挙げると・・・。

「生物学は、生命の根底を流れる基本的な原理を明らかにするための基礎的な学問であり、医・薬学、農学、工学、物理学、 化学、地球環境科学、資源科学などを含む自然科学研究の基盤でもあることに加えて、最近では、心理学、倫理学、経済学などの人文・ 社会科学との接点も増えている非常に広域な研究領域を持つ学問といえる。」

という文章があるとします。

うーーん、長い。僕の文章はいつも長ったらしいですが、この長さの文は書きません。書いてるこっちも頭が混乱してしまいます。でも、自分が今までに書いたレポートを見返してみると何回かこのような文を書いてしまっていることがありますね.

要は,生物学は基礎的かつ広域な研究領域を持つ学問ということが言いたいだけなのに.いろんなことが書かれていて伝わりません.

これがもし,

「生物学は,生命の根底を流れる基本的な原理を明らかにするための基本的な学問である。加えて、医・薬学、農学、工学、物理学、化学、地球環境学、資源科学などを含む自然科学研究の基盤でもあるといえる。最近では、心理学、倫理学、経済学などの人文・ 社会科学との接点も増えてきている。ここからわかるように、生物学は非常に広域な研究領域を持つ学問といえる。」

だったらどうでしょうか。わかりやすくなってませんか?この本でいう文章を短く書くというのは、一つ一つの文を短く区切るということなのです。

人は初めて出会った文を目にしたとき文が終わって初めて意味を理解し始めるので、短いと意味をとりやすくなります。英語の文章を読むときのことを思い出してください。

例えば次のような例文があるとします。

A semiconductor element such as npn junction is utilized.

→pnp接合といった半導体素子が利用された。

この文章は専門用語が多くて、意味が分からないと感じたのではないでしょうか?

工学系の論文ではよく見るタイプの文章でが、その分野に精通していない人は今のあなたのように頭の中に???が飛び交うと思います。

たまたまsemiconductorの意味が半導体だと知っていたならばこれが半導体についての文章だとなんとなくわかりますが、文の最後のutilizedを見るまで「半導体素子が使われた」ことはわかりません。

つまり、文の最後まで読まないと文の意味は理解できないということです。日本語での日常会話は相手の言葉を先読みして理解するので最後まで聞き取る必要はありませんが、英語でも日本語でも理系の専門的な文章は読む前から内容を予想することが難しいので文を読み切るまで何が何だかわからないのです。

文の中の要素が多くなると、文を読み終えたときに意味を解釈することが難しくなります。そして難しい文章は読み手にストレスを与えていきます。ストレスを感じた読み手はその文章を放り投げて二度と読むことはないのです。

もしあなたが膨大な実験を重ねて大発見をしたとしますね。意気揚々と論文を書き上げ学術雑誌に投稿したとしても、その文章が読み手にストレスを与えるような文章だと編集者は掲載してくれません。というか読んでくれません。運よく掲載されたしても読書に読み飛ばされてしまします。

主語と述語を一行に収める

短い文章を書くためにはどおしたらいいか、『文章は短いほど上手い』では主語と述語は1つの文に1つだけに絞ると書かれています。つまり、主語と述語の一対一関係を作るのです。上の悪い例を見てください。

「生物学は,生命の根底を流れる基本的な・・・」

主語は「生物学」一つです。でも述語は

「である」、「増えている」、「といえる」

と、3つあります。これが混乱の原因になるのです。読者は3つ目の述語を目にした時にはもう最初の主語のことなん忘れています。主語がなんなのかわからない状態で読み進めても文の内容が把握できるわけないですよね。

さらに、僕的には述語と主語の距離が一行に収まっていることが重要だと考えています。例えば、

「コンクリートは気相、固相および液相からなる多相物質であり、液相を通して鉄筋の腐食因子である塩化物イオンなどがコンクリー中で移動することで耐久性が低下していく。」

またまた、わかりにくい文ですね。要はコンクリートは耐久性が低下するという話ですが、主語と述語の間が長すぎて読みにくくなっています。そこで主語である「コンクリート」と述語である「低下していく」を無理やり近づけてみます。

「気相、 固相および液相からなる多相物質であるコンクリートは、液相を通して鉄筋の腐食因子である塩化物イオンなどがコンクリー中で移動することで耐久性が低下していく。」

これで、主語と述語の間隔は1行以下になりました。できれば同じ行にあったほうが読みやすいのですが、なかなか難しいのでわざわざやる必要はありません。A4の紙を二段に分けて書いている場合は2行でも大丈夫です。

上と下の例文の違いはコンクリートに修飾している説がコンクリートの後から前に移っているのですが、コンクリート前でコンクリートの説明をすることで、主語であるコンクリート目にした時に「どんなコンクリートか」意味をとって記憶することができます。

こういう工夫をすると文を読み切る前に読み手は文の意味の一部を文の途中で理解することができ。長い文でも読みやすくなるのです.

ちなみに、僕の文は主語と述語の距離がどおしても開いてしまいます。だいぶ改善されたとは思うのですがまだまだ長い文を書いてることがありますね。

最近重要だと思うコツは、「~だが、~」とか、「~でも、~」、「~であり、~」といった句点で終わる語句は使わずに「~。そして~」「~。したがって~」といった接続を意識して使うことだと思います。

気取った表現は使わない

これも『文章は短いほど上手い』で紹介されていることなのですが、下手にかっこつけて回りくどい表現をしないことが大切です。これも筆者には耳が痛い話なのですが、何かをわかりやすく説明することが目的の理系の文章でわかりやすさよりも文章の見栄えを優先させてしまうと読者に不親切になってしまうのです。

アメリカの作家のチャールズ・ブコウスキー(誰なのか知りません笑)の名言に「簡単なことを難しくするのがインテリ.難しいことを簡単にするのが芸術家」というものがあります。私たちの学者のイメージの中にも,白衣を着て一般の人が理解できない言葉を一方的にしゃべっているという学者像がありませんか?

そんなイメージは捨てましょう!

確かに、専門用語を使いまくれば知的見えます、でも理系の文章は読み手に文章の意味を理解してもらわなければ始まらないのです.そもそも,専門用語は文で説明するのは難しい一般的でないことを一語で表現するためにあります。つまり、わかりやすく説明するために作られたのです。ですから、読み手を意識して読み手が知らないような表現は使わないようにしましょう。

重要なことはだれが読むかです。例えば,マニアックな学会誌に載せる文ならむしろ、専門用語やその業界特有の表現を使ってもいいかもしれません。でも、読み手が限定されない場合はわかりやすさを追求するべきです。

いきなりわかりやすい文章を書こうというのは不可能です。でも大学4年間で相当な量の文章を書きます。ですから、普段のレポートから意識してわかりやすく書くクセをつけていきましょう。

それでは。