中二病的な考え方で、「自分は勉強しなくてももテストでいい点が取れる」とか、「自分はトレーニングしなくても試合に勝てる」とか、「別に努力してないけど異性にモテる」とか、努力ではなく天性の才能を重視したり、それを他人に誇示しようとする人っていませんか?

考えすぎかもしれませんが、このような思考にはありのままの自分そのものを肯定されたいとか、遺伝子的な自分の価値を認めさせたいとか、そういう人の生物としての本能が関係しているのではないかと思っています。

本当に何もしてないのに生まれ持った素養で他人よりよくできてしまう人もたまにいますが、大体は何にもしてないわけではななくて、実は隠れて勉強していたり、こっそり一人で練習していたりしているパターンが多いのではないでしょうか?

自分も中学生の時は自分はまったく勉強しなくても、義務教育の範囲内のことはできると思い込んでいて、授業中は寝たり宿題をやってこないで、行内順位の上位に入ることを自慢しようとしてました(自慢になってない)。

結局、それでも1割以内に入ることはあまりなくて、今思うと大学進学率が半分いくかいかないかくらいの片田舎の中学校なので、単に周りも勉強していないだけだっでした。中学を卒業してそこそこの進学校に行ったものの、高校でも全然勉強しなかったせいで都会の大手の予備校に行くことになり、そこで世の中にはこんなに、自頭がよくて、しかも何時間も集中して勉強することができる人間がいるんだと心底驚くことになります。

大学生でも自分は頑張らないのにできるからすごいと主張し続ける人はいましたね。でもだんだん大人になって中二病が治り、さらに日本の義務教育は才能よりも努力を重んじるカリキュラムになっていることから、自身の才能を重視していた人もだんだんと才能よりも努力を重視するようになったと感じています。

自分もそうで、大きな転換点は予備校にいったことですが、大学でも就活でも「生まれ持った素養はあとからどうこうすることができないんだから、才能があるかないか考えている時間があったら努力したほうがいい」と考えるようになりました。

ただ、社会人生活を数年やってそこそこ働くということがどういうことか分かった今、努力で培ったスキルよりも、生まれ持った才能が大事だなと感じることが増えてきました。ということで、自身の才能(できないことも含む)をしっかりと認知して、活かすことが重要な理由をまとめたいと思います。

 

スキルは何度でも学びなおすことができるし、時間が経つと陳腐化する

自分は学校で学ぶ数学や英語や国語もスキルの1つだと言えると思います。こういうと違和感に感じる人がいるかもしれません。実際に自分は数学や英語をスキルとして仕事で使っています。

学校で学んだことなんて、社会じゃ役に立たないからスキルじゃないと思う人もいますが、スキルはある目的のための会得するもので、それが終わったらひとまず用無しになるものなんですよね。もしかしたら次のステージでも再利用できるかもしれないけど、一生使わない可能性もあります。

学校で学べるスキルは何も英単語や微分方程式の解き方だけじゃないく、メモの取り方やスケジュールの管理方法などもありますが、そういう低レイヤーのスキルも再利用できることはありますが、自分の変化そして社会の変化によって陳腐化して価値がなくなる可能性があります。

社会に出てもそれは同じで、社会人は自分が持っているスキルセットが陳腐化することを恐れながら生きているところが多々あると思います。業界によっては数十年必要なスキルが変わらない場合はもありますが、自分がいるITの世界では業界のトレンドや所属組織、役職によってある日突然自分のスキルが陳腐化します。

特にIT業界あるあるですが、自分が傾倒してスキルを持っていた技術やプロダクトが市場価値を失うと関連するスキルも価値を失ったり、プレイヤーからマネージャーに上がるとプレイヤーとしてのスキルが生かせなくなったり、逆にマネージャーからプレイヤーに戻ったときに過去のスキルが通用しなくなっていたりと選択を間違えて行き場がなくなっている人をたまに見ます。そうすると次は我が身と思うんですよね。

だから、何歳になっても次々新しいスキルを得ることにどん欲になる必要があるなと思うわけです。

 

一つ一つのスキルの価値は人生全体で見たら実は低い

自分はまだ経験が浅いので、0から新しいスキルを獲得する必要がありますが、結局今得たスキルもいつかは価値がなくなることを覚悟する必要があります。となると、努力して今得たスキルは今すぐは役立つかもしれませんが、人生全体ではそれほど役にたたないものかもしれません。できるだけ息の長いスキルを身につければいいですが、長期的に使えるスキルは持ってることが当たりまえで他人と差別化できなかったり、短いスパンではそれほど役立たなかったりします。

スキルの中には、それ単体でも役にたつしスキルの習得を早めるものあります。特に自分が重要だと思うのが、言語系のスキルで、言語能力が高まれば情報の収集スピードも速まるし、頭の中で思考して理解するスピードも速まります。そして、スキルに関わる知識すべてを記憶することはできないのどこかに書き記すことになりますが、その際に整理して記述することもできます。

ただ、いくらスキルを習得する能力を高めても、そのスキルを習得するのに必要な素養を持っている人には勝てないんですよね。これは定量的な比較はできませんが、一定量のあたりの努力から得られる成果は、素養による変数が掛けられるように、同じ努力をしていても生まれ持った素養によって得られる成果は異なると思います。

この「努力量×素養=成果」という関係性を思い知ったのは、自分が予備校に通っていた時のことで、高校の同じサッカー部の友人達と県外の予備校に通っていたのですが、電車も授業も自習室も一緒に行動しているのに割いてる時間に対する得られる成果が人によって違うことを感じました。明らかに英単語を短い時間に多く覚えらる友人もいれば、計算スピードがどんどん速くなる友人もいるし、人それぞれの得意不得意が一緒に勉強している分残酷なくらいはっきりわかるんですよね。

一人、一年間一緒に勉強して国立の医学部に合格した友人がいたのですが、同じ授業を受けた後に自習室で復習していると自分よりも多くの概念を理解していることに気づいて驚きました。それまで部活中心の生活をみなしていましたが、もちろん高校時代からその友人の成績は良かったです。でも、一日一日伸びしろが人と違うことを肌で感じました。

社会人になってからは、まじまじと才能を見せつけられることはないですが、やはり生まれ持った得意を活かせるのは強いなと感じます。学生のように全員一日中勉強しているわけではないので、差はそこまで出ませんが、スキルの習得に時間をかけられないのに、得なきゃいけないものが多い社会人生活では、逆にもともとの素養を上手く利用して立ち回らないといけない場面が増えます

得意なことは極めて他者と差別化する必要がありますし、苦手であるということは及第点をとるための工夫をしたり、それが得意な同僚と協力して乗り越える必要があります。つまり、自分が何が得意で何が苦手なのか理解したうえで素早く対処することが必要になるわけです。

そして、めまぐるしく必要なスキルが変わる状況では、最後に頼れるのは自らの素養だけだと感じます。ないことを祈りたいですが、たとえ0からの振り出しに近いと感じる状態になったとしても、生まれ持った素養は失われることはありません。自信の素養を上手くいかして、効率的に努力することによって素早く目の前の状況に対応する必要があります。

 

それが好き、どうしてもやりたい、いくらやってもストレスを感じないは最大の才能

ここまで、素養や才能という言葉を使ってきまいたが、運動神経のような能力的な性質をイメージされている方が多いと思います。

ただ、自分は能力的なものよりは実は精神的なものほうが才能として重要だと感じてます。

社会人になって、この人には敵わないと感じる人がどういう人かという、仕事でもプライベートでも、ある物事に対して目をかがやせて情熱を持てる人です。

普通の人では、億劫に感じたり、疲労してしまうことでも、そのものが好きだと感じたり、何度でもやりたいと思ったり、どんなにやっても肉体的疲労は感じていても精神的なストレスは一切ない人がいるんですよね。

そういう人は、その業界、分野、タスクにおいては最強だと自分は思います。目の色を変えて取り組む姿勢は尊敬します。果敢に挑戦して誰よりも先を行く姿をみると、妬ましく思います。

さて、じゃぁ自分はどんなところに精神的な素養を持っているかと考えると、自分の思考を他者に伝えることです。それは口頭でもいいし、文章でもいいですがここに関しては他者とは違うと感じます。

別に、能力が高いわけではないです。むしろ、学校の勉強では国語は苦手だったし、今でも得意とは思えませんが、このブログに記事を書いていたり、自分のアイデアをもとに資料を作成している時は全くストレスを感じないです。逆に、最近仕事で対外メディアの運営を任されることになり、皆さんそこに寄稿されることに苦労されていることを知って驚きました。

この8年間でこのブログに250記事以上の記事を書きましたが、自分の思考を文書化することは癒しなんだとおもいます。聞かされる方はたまったもんじゃないですが、何時間でも自分の考えていることは話せるのに、学生時代から深夜まで誰かを拘束して自分の思っていることを話すことがありますね。相手はみんな死んだ顔をしてますが(ほんとうにごめんなさい)、

これまで、文章を書くことが好きということが人生で役立ったことが何度もありますし、今も仕事が忙しいときには資料を作成したり、文章を書くタスクを疲れた時に進めて息抜きしています。

それに、文章を書くための勉強を苦ならないんですよね。それに書くことで学ぶこともたくさんあります。

 

皆さんは、自分が持っている能力的な才能、精神的な才能はなんだと思っていますか?才能があるか、ないかの指標は絶対的な指標はないですし、世の中の人間の平均値より高ければ得意ということになるし、低ければ苦手ということになります。

なんとなく、人よりも上手くできたという経験や自分は好きなことなのに、意外と周りの人は好きではなくて驚いたという経験を振り返ると自分の持っている素養を整理できるかもしれませんね。特に就活生の方はこれを機にじっくり整理してみると良いかもしれません。

 

それでは。