嫌われる勇気という本を知っていますか?
2013年にめっちゃ売れた自己啓発本ですが僕も大学時代に研究室の先生との関係に悩んでいた時(結局所属研究室を移すことにした)、熱心に読みました。
自己啓発本は読んでも意味ないと思っているのであまり読まないのですが、この本はインパクトがすごいというか、まず読み物として面白かったです。さらに読んだ後に自分の考え方と行動に変化があることが実感できました。研究室を変更する決心がついたのもこの本のおかげかもしれません。
同時期に同じように研究室を出て行った博士の先輩も、いろいろ済んだ後飲みに行った時に、僕と同じように「嫌われる勇気」を読んでいた言っていて怖くなりました。宗教的な力がありますね、この本。
「嫌われる勇気」の著者は古賀史健と岸見一郎となっているのですが、この岸見一郎という人はアドラー心理学の研究者で本の中にもアドラー心理学を引用されることが多々あります。
アドラー心理学の知見を借りて今の現代社会の実情を分析していることが作者たちの主張に凄みを与えているのですが、その中で一つだけ感覚的に僕が受け入れられなかったことがありました。
それは、
他者が存在がなければ人は孤独にならない
というものです。
僕は大学院時代に移動先の研究室の居室に1人で缶詰になってしまい、数日間人としゃべらないということがザラになって、孤独で死にそうになったことがあるのですが、その時の感覚ではとにかく自分が人に会ってないから辛くて他者がどうとか関係ないのでは?と感じていました。
でも、アドラー心理学ではもしこの宇宙に自分しか存在していないとしたら、その人は孤独という概念を知ることはないと結論付けられているそうです。
直接アドラー心理学に振れたことはないので、その背景をちゃんと勉強すれば僕も納得できるのかもしれませんが、生物学的な視点で考えると人が孤独を感じるのは人間が群れを成す社会性を持った動物であり、他者と共存できない状態は群れる動物にとっては非常に危険な状態なのでストレスを感じると思っているので、どうもこの主張は納得できないわけです。
僕にとって孤独とは、人とのコミュニケーション量がある許容範囲以下になった時に脳が不調きたす病気で、病名を付けたらコミュニケーション失調症みたいなものだと思っています。だから、処方箋として他者との会話を増やせば自然と治るようなもので、逆に不足していたら孤独から抜け出すことは不可能だと考えていました。
しかし、嫌われる勇気の中で筆者たちは孤独は人との関係性から生まれるものだと書いていました。だから、会話が増えたからって孤独から解放されるわけではないし、直接的なコミュニケーションがなかったとしても、必ず孤独を感じるわけではないそうです。
んな、バカな・・・と思っていたのですが、コロナウイルスによって発令された緊急事態宣言下の自分とその周りの状態を見るとこの理論は正しいのではないかと思い始めたんですよね。
他者との交流が不可能とわかればそれを欲する気持ちもなくなる
まず、今の僕の現状を説明すると、4月から就職するので初めての町で一人暮らしをしています。
研修中の身なので不要不急ではない外出が特になく、買い物以外は家から出ません。だから直接人と会ってしゃべることは今までの人生を比較すると極端に少ないです。
人とのコミュニケーションというと、たまに友達とか親とラインして、週に一回会社の人とミーティングがあって、週一でオンライン飲み会があるぐらいです。
おそらく、大学院のきつかった時期よりも少ない。
でも、あんまり孤独だとは思わないんですよね。淡々と日々が過ぎ去る感じ。
大学院のきつかったときは食事を毎日一人でとるのが辛かったのですが、今は一日3食自分で作って一人で食べて片付けるというルーティンをひたすら繰り返しているので同じです。
むしろ、あの時の方がたまたま大学であった人としゃべる機会が結構あったのでむしろ声を発している時間は多かったはずです。
それなのにこの気持ちの違いは何なのかと考えるわけです。
誰かと楽しくご飯食べたいという思いも、今は国家的に規制されてしまているので100%不可能なことになってしまいました。で、そうやって禁止されてしまうと不思議とそうしたいという気持ちもなくなっていくんですよね・・・不思議です。
これは僕だけに起きている現象じゃなくて、大学の友人や会社の自分と同じ新人の人も同じようなことを言っていて、全員そうというわけではないですが今この文章を読んでいる方にも当てはまる人いるのではないでしょうか。
孤独の本質は期待と妬みかもしれない?
今の僕が孤独を感じていないのなら、昔の僕がなぜ孤独だったのか考えてみます。
このブログで何度も書いていますが、あの時僕は学部時代の研究室をいろいろあって辞めることになり、専攻も変えて新しい研究室に移りました。
前の研究室は良くも悪くも体育会系の研究室で飲み会も多かったですし、研究終わりにご飯に行ったり、遊んだりってことが多くてそれはそれで楽しかったです。
ただ、新しい研究室は基本全員個人主義で、プログラミングメインの仕事なので必要がなければ研究室に人が来ないし、ご飯を食べるなんてこともめったにないし、飲み会もありませんでした。
で、たまに前の研究室の飲み会に参加したり、ディズニーランドやボーリング場についていていくと、楽しくてみんな羨ましいなぁと思うわけです。妬みってやつですね。
そもそも、僕は幼稚園生から大学3年生までずっと部活でボールを蹴っていた人間で、さらに両親に研究室は楽しいところだと聞かされていたので研究室に対して特別な期待を抱いていたのだと思います。
それが、院生になると、毎日誰もいない部屋で一日に何時間もコードをひたすら書く日々になってしまい、学会に行っても基本移動は一人でしたし、一人でビジネスホテルに泊まって一人で帰るという生活を送っていました。
かたやとなり研究室の友達は国際学会に一週間行けば五日は同期のメンバーで観光していると言っていて、僕はこのまま卒業するまでずっと一人ぼっちの自分に絶望したのかもしれません。
じゃぁ現在はなんで楽なのかというと、IT系ですが割と大きな体育会系の企業に就職したので嫌でも参加しなくちゃいけない飲み会やイベントがたくさんありますし、非常事態宣言が終われば研修や会議が待っているのはわかっています。でも、別に僕自身は仕事に対してそこまでのコミュニケーションは期待していないんですよね。
さらに、会社の同期も大学の友達も今はみんな家の中で幽閉されているので他人を妬む感情も湧いてこないんです。
だから、孤独を感じにくくなっているのだと思います。
共感してくれる人いますかね?
それでは。