世の中のスポーツは大きく二つのくくりで分けることができます。
一つは個人スポーツ。
パッと思いつくのは陸上、水泳、体操、柔道、剣道、弓道、テニス、卓球、バトミントンあたりでしょうか?
もう一つはチームスポーツ。
サッカー、野球、バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、水球、ラグビーとかでしょうか?意外と少ないですね。
もう少し考えてみると高校でやってる人はすくなそうですが、
アメフト、チアリーディング、フットサル、ラクロス、ホッケーとかもあります。
個人スポーツとチームスポーツの違いは、普通に考えたら仲間と協力してプレーする必要があることですが、サッカーを幼稚園生から高校まで続けて、大学からはフットサルをやっている僕がこの2種類のスポーツの一番の違いについに真剣に考えたら
”試合に出場できずに競技することができない選手がいる”
ことが最もこの2種類のスポーツの本質的な違いであると感じました。
で、試合に出れない選手がいるということは、チームスポーツの負の側面でもあり面白さでもあると思います。選手一人一人はチームの構成員として、ライバルのチームと競うだけではなく、チームメイトとも競うわけです。
そして、その駆け引きがチーム全体のチームワークに正の影響も負の影響も及ぼし、試合の勝敗を決めるわけです。個人スポーツでは決して味わえない複雑さと奥深さがあると思います。
といっても、僕がこういうふうに思うようになったのは大学に入ってチームの運営をし始めてからで、高校までは試合に出れないことは死活問題でした。
振り返ると、25年の人生の中で15年以上ボールを蹴ってますが(ここまではサッカー、大学からはフットサル)、試合に出ていたのはそのうち半分ぐらいで、残りの半分はベンチから試合を眺めていました。
まぁ、中高の部活だと下級生は試合に出れないのは当然ですが、不思議と記憶に残っているのは試合に出れずに足掻いていて時期ばっかりなんですよね。逆にずっと出ていた時期は印象になくて、確かに一試合一試合のことは出場していた時期の方がおぼえているんですけど、その時どんなことを思ってサッカーに向き合ってたとか、どんな工夫を練習でしていたとかそういうことは圧倒的に試合に出てない時期の方がおぼえてる。
で、今現在そういう状況に置かれている人って結構いると思うんです。小学生でも中学生でも高校生でも。部活かクラブチームかで違いはあると思いますが、サッカーでも、野球でも、バスケでも実際はトップチームの試合に出れてない人の方が多いのではないでしょうか。
そういう人は、とにかく今を耐え忍ぶという感じだと思います。僕はそうでした。
でも、今の努力を無駄にしないために一回立ち止まって状況を整理してほしいのです。
ということで、現在試合に出れない選手の方、それに、そういう状況の選手の保護者や指導者の方に向けて、試合に出るため、そしてほかの可能性を模索するため、そして苦しまないために考えてほしいことをまとめます。(逆にただ盲目的に耐え忍んで思考を停止するのはもったいないという意味です)
まず前提ととして、
あなたの試合に出れない一番の原因は運がないから、自分を責めないでほしい
絶対に自分を卑屈に思わないでください。
僕の母親はよく、試合に出れない僕に自分の学生時代と比較して「あんたは意気地がないから試合に出れないのよ」とか、「根性がないから、だめなのよ」と言っていました。
試合に出ていたとしても、自分のミスについて揚げ足を取られて「あれがダメだ、これがダメだと」言われていました。まぁ、守備よりのポジションをやっていたことが多かったので、失点に自分が絡むと他の親に対して申し訳ないと思っていたのかもしれません。
でも高校生ぐらいからうすうす気づいてきましたが、大人になってから改めて考えると母親の言ってたことは完全に間違いです。
僕がたびたび出場機会に恵まれなかったのは、運が悪かったせいです。巡り合わせの問題。
あと、息子が活躍しないせいで肩身が狭いと思っていたのかもしれませんが、だからって親が口をだすのは完全な間違いです。プレーしているのは僕で、これは僕が向き合うべき問題です。それを勝手に介入していたので話をもっとややこしくして、自分に試行錯誤や決断の機会を奪っていました。
小学生の時所属していたチームは割と強くて県大会の上位によく入っていましたが、チームが勝てるようになると逆に僕が試合に出ている時間は少なくなっていきました。
で、中学では割とと試合に出てましたが、高校では出れなくなったことを考えると、僕は単純に県大会に出れるぐらいのチームでは通用するけど、県大会上位校では通用しないぐらいのレベル選手ということになります。大学に入ってからは結構いろいろな人とプレーしましたが、いろんな人とチームを組むことで自分のレベル感がそこそこだということを実感しました。
逆に、母親はサッカーと比べるとマイナーなスポーツをやっていて、活躍してたらしいですけど、そんなに強いチームでやっていたわけではないようです。運動神経も精神力も、部活にかけるウェイトも大して変わらない親子なので、プレーに差があったとは思えません。まぁ競技が違うので比較できませんけどね。
それでも、僕の母親は毎週のように僕にあーだこーだと嫌味を言っていました。いまでも何か失敗するとサッカーの話を持ち出して、お前はあの時から意気地がないから今もダメなんだと謎の根性論を展開してきます。
さて、僕がうっかり強豪校(ってわけでもない笑)に来てしまったのはただただ運が悪かっただけで、全く高校でサッカーを頑張ろうという気概はありませんでした。むしろ、サッカーはそんなに頑張りたくないから、あまりサッカー部が強いかどうかは気にせず近所の進学校に進学したのですが、サッカーは続けたかったのでサッカー部に入ってみると最初のインターハイの県予選で準決勝まで進んでしまい絶望したことをよく覚えています。
それからは、サッカー漬けの日々で勉強もせずに、土日は練習するか家で寝るかの日々を送っていましたが、本当に高校の時は部活をしていていいことなかったですね。途中からはサッカー自体も面白くなくなって、あれから10年以上たっていまも交友がある友達はできましたが、部活をしていて得たことってそれくらいかもしれません。
これが、頑張りたくて強豪校に入った人だったら、もっと試合に出れないことが絶望的に感じると思います。
でも、チームのレベル感が上がれば上がるほど出場できない人は増えるのです。ただでさえ、チームに求められているレベルが高いのに、集まってくる選手が多いわけですから。冷静に考えればわかりますよね。
しかも、そういう実力社会の世界ではチームに貢献できるうまい選手ほど人間的に偉いという風潮になりがちです。逆に試合で貢献できない選手は肩身が狭いと思います。僕はよく試合に出れないことで、自分の存在意義がなくなってしまうような感じがしていました。
選手権や甲子園で活躍した選手だって大学では活躍できないという人はたくさんいます。プロチームに入ればそのほとんどの選手は当たり前ですが、試合に出れないわけです。
大学時代にやっていたバイトで、Jリーグの運営会社の人とかかわる機会があったのでそのことはひしひしと感じました。ひとチームに選手契約している選手は25人ですが、サブのメンバーや下部組織を含めると数十人選手がいて、その中で、チームの勝利や売り上げに貢献しているのはわずか数人なわけです。チームの中でだれが貢献しているとみなされているのかは物販に並ぶグッズを見れば一目瞭然でした。
いま、チームに貢献できないという事実もやっぱりめぐりあわせでそうなったのだと思います。監督や戦術が代われば今試合に出ているメンバー確実にガラッと変わるだろうし、もしあなたがもう少し低いレベルのチームにいれば試合に出れる可能性は高いはずです。
今所属しているチームが決して強いわけではないけど、試合に出れないという人も自分がほかのメンバーよりも何か悪いところがあるわけじゃないです。確かに、今よりもっといいやり方はあるかもしれないし、今後もっと上達するかもしれませんが、だからといって出場機会に恵まれるかはわかりません。いま試合に出ているメンバーだって、他のチームでやっていけるとは限らないですからね。たまたま彼らはそこにいたから通用したわけです。だから、競技の上手さで人の価値が決まるわけないんです。
よく、自分は何をやってもダメなのかもしれないと感じる人がいますが(自分がそうでした)、全くそういうことはありません。たまたま今取り組んでいることがうまくいかないだけです。何度もいうように人には向き不向きがあります。逆に何でもできる人なんていないすし・・・。
27年間生きてきましたが、サッカーほどうまくいかなかったことはないです。受験も大学での勉強や研究や就活もそして就職してからのことも、サッカーのように出口のない迷路をさまよい続けるよう間隔を感じたことは一度もなくて、とりあえず行きたかった大学や企業には行けたし、やりたかったことはできました。
努力しなかったことは返ってこないけど、努力した分の結果はそれなりに帰ってきました。逆にあの時みたいに人生のすべてを掛けても全く何も成果が出ないみたいなことは世の中的にも珍しいのだと思います(才能がなかったということかもしれませんが、いまはそれも貴重な体験だったと感じます)。
で、気づいたんですけど、小中高と僕の世界のなかにはサッカーしかなくてサッカー以外には何もなかったんですけど、それは勘違いでサッカー以外にも面白いことや価値があることっていろいろあるんですよね。ただ、それは今だからわかることであのサッカーしかない狭い世界いた自分はそのことに気づけませんでした。
ただ、その時にすでに能動的に自分の歩みで様々な世界に飛び出していた人がいたことを後から知って、自分の人生を否定しないまでも少しもったいない気がしました。
余談になりますが、留学や海外インターンなどで海外の同年代の人と話して気づいたんですけど、進学校の学生で勉強よりもスポーツをさせられている人ってマジで日本にしかいないです。
海外に行くとどこの国の出身者でもできるスポーツということで大体サッカーをやることになりますが、圧倒的に日本の部活でサッカーをやっていた人間が上手いです。
タネを明かすと、自分が留学していた大学やインターンをしていた研究所は一応頑張って勉強してきた人が集まっているところで、部活がという制度が存在しない海外で学校が勉強よりもスポーツや芸術活動を優先させることはないようです。まぁ普通に考えたらおかしいですよね。
特に中国の方はみんなサッカー好きだけど、勉強することが忙しすぎてそんな余裕ないようでした。他の国の人からも学校にスポーツの専門家がいて、毎日その人から指導を受けるという状態は、プロを目指しているわけでもないのにおかしいという反応をされました。
日本がこんなにも部活が重視されるようになったのは、1970年代から1980年代にかけて校内暴力が社会問題化し学生を非行にはしらせないために部活を強制したのが発端だといわれています。で、進学先の学校も部活をしていればその学生が問題行動をとらない可能性が高いので部活に取り組む学生を入学させたがる風潮が生まれたそうです。
確かに、部活動をとして学ぶことは多いですが学生が挑戦できることが増えた今、その文化を今も押し通しているのは時代錯誤のような気がします。そしてこれからは、部活を通して可能性を広げることよりも可能性を奪うことの方が多くなるかもしれません。
やめる・チームを変える・競技を変えるのも一つの手
日本の体育会の世界では続けることを良しとしてしいます。
確かに、”続けること”は何よりも尊いと僕もおもうんです。みんながたどり着けなかったところにたどり着いた人って、必ずあきらめずに続けた人だし、成長速度が遅くても続けさえいれば前に進むことができます。
ただ、学生という時期に貴重な時間や精神的リソースを何に費やすかはめちゃめちゃ重要なんですよね。
何かに打ち込んで結果を出しつつ、努力することの大切さや達成する喜びを学ぶことも必要なんですけど、部活や所属クラブを卒業してからの人生を考えると、何に対してどのくらいのリソースを割くのか、絶妙なバランス感覚が大事になってくるんですよね。
というのも、高校までは勉強とか部活とか限られたテーマしかなくて、別に勉強だけしてても誰にも文句言われないし、年中部活に打ち込んでも評価されるわけです。
でも、そのあと人生は公私ともにあらゆることに対して自分の時間や体力、精神力を注ぎ込んで合格点をとり続けなきゃならない。
例えば自分の大学時代の話をすると、実験課題やテスト勉強を抱えながら、毎週フットサルのリーグ戦をこなして、週にバイト先でを十数時間働いてました。実験レポートを仕上げるのに毎週徹夜しつつ、翌日バイト先で店頭に立つのがきつかったですね。
研究室に入ったら毎週ゼミで先生に怒られつつ、平日は学会や発表のためにデータをとって休日はバイトみたいな感じです。そんでもって、定期的な飲み会の幹事をやらされつつ、企業のインターンや面接をこなすわけで、どれも失敗しちゃダメなんですよね。
就職したら職場での人間関係もあるし、家族など新しい概念も入ってもっと話が複雑になりますね。
そこで痛感するのは人間が物事にかけられるリソースは有限だってこと。で、重要なことはそのリソースをどう配分するかです。
もちろん、何かに没頭できる中高生のうちに没頭しとくのは一つの手ですが、限られたことにしか視野を向けないのは可能性を狭まることにつながると思います。
中高生の部活社会っていい意味でも悪い意味でも世界が狭いのでここがすべてだって思ってしまいがちです。
さっき僕が書いたように人間が達成できる結果っ環境によるところが大きいので、もし出口のない世界を延々と回り続けたら、運よく環境が変わるまで自分を変えることはできないわけです。
でも、これまで学生よりも、これからの学生の方が自分の人生を早いうちに能動的に切り開く力が必要なると思います。部活という世界に閉じこもってそこで脳死してしまうと、その力を養うチャンスを逃してしまうと思うのです。
何をやってもいいんです。それは今取り組んでいることかもしれないし、まだ知らないことかもしれない。でも大切なのは戦略をもって自分の意志で自分だけの道を切り開くことです。自分を縛る要因を考えてください。少なくとも現状に納得していないならそうするべきです。
それは学校かもしれないし、教育制度かもしれない、まぁありがちなのは先生、指導者、そして親ですが、結局一番自分をしばっているのは自分自身じゃないですか?
世界を変えるって言っても方法はいろいろあって、例えばその競技、スキルを学ぶ方法を変えるとか・・・。
所属チームを変えてみるのは一つの手です。自分の年齢でそれができる環境って案外ほかにもあったりします。
これは高校生までだと難しいですが、自分のしたことの中だと留学がおすすめです。自分の信じてた常識や価値観って自分がそれが大切って思い込んでただけで、本当は重要じゃないことがよくわかります。
週に一回だけ練習場所を変えてみるのもありかも。(サッカーやフットサルに限った話ですが、週に1回程度大人の競技者が千円程度払って不特定多数のメンバーで練習する環境があります。年齢制限はありますがめっちゃ刺激をもらえると思います)
ただ日本の部活文化の悪いところですが、学校とチームが紐づけられていて環境を変えることが極端に難しい場合がほとんどです。
その場合は学ぶ対象を変えるというのもあります。今の監督やコーチが自分に合ってるとは限らないです。例えば指導者向けの雑誌を読むのもありですし、いまはネットに映像がいっぱい転がってます。
で、リソースをかける対象を変えることも絶対検討してください。競技を変えるのも立派な挑戦です。競技を変えて大成した選手もいっぱいいますしね。
いきなり変えてしまうのは気が引ける人は、とりあえずいまやってることを続けたまま他のことを初めてみるというのもありかもしれないです。
僕が高校生の時、サッカー部のメンバーが地元のバンドでギターをは初めて、しばらく両方頑張ってましたが2年生の時バンドに集中するからと、その人がサッカー部をやめるということがありました。
その時は、残念に思いましたし、とめましたが、大学時代に組んだバンドで活動していいて、ライブをしたりCDを出したりしています(バンドだけは食べていけないらしいですが)。きっと彼には僕が持ってない視点を持っていたのだと思います。
まぁ、あの時の僕にはサッカーをやることが正義でほかの可能性なんて考えられなかったんですよね。だから、あの時彼を否定してしまいましたが、今となってはサッカーをするということにこだわって他の視点がなくなっていた自分が間違っていたことに気づきました。
部活動はあくまで手段であって目的じゃないです。目的は何かを学ぶことかもしれないし、健康かもしれないし、人間関係かもしれません。ただ、何よりも大事なことは楽しむことだと思います。もし、その競技を続けるとしてもその先を見据えた選択をすべきです。
むしろ、そのあとのことを考えると、力の配分のバランス感覚とか、打ち込みべき対象の見つけ方とか、そういうことを経験したほうが役に立ちますし。
余力があるなら、逃げるのではなく勇気のいる方を選んでほしい。
もちろん、部活やクラブ、趣味に打ち込むのはやめて勉強に専念しようと考えるのは有効な手です。それに、遅かれ早かれ多くに人はその選択をするので早めに勉強に専念すれば、その後の人生にアドバンテージを得ることができます。
それに、たいそうなことをしなくても単純にプライベートを充実させるのもアリだと思います。
でも、この記事をここまで読んでくれた方は、おそらくどんな決断をするとしても悩むのではないでしょうか。そして、悩み続けるでしょう。
こんな長い記事になってしまいましたが、最後に一つだけ書いておきたいことがあるのですが、それは
選択肢で悩んだら、選ぶのに勇気がいる方を選んでほしいです。
それが、今いる世界に残ることだったら残ってほしいし、今いる世界じゃないのならそこから飛び出してほしい。
そのほうが後々の後悔は少ないです。ただ、勇気がどうしてもでないなら無理をする必要はないです。こうしなくちゃいけないという正解はないし、今いるところだってあとから考えれば得るものがあると思います。重要なのは考えて自分の意志で決めることです(もし、決められないほど追い込まれているなら逃げてもいいと思います)。
まぁ、これは完全にどっちを選ぶべきかわからないときの話で、普通は自分の意志に従うことを最優先に考えてください。
あと、精神的に肉体的に健康を害する可能性のある方には進まないでください。学生は体と心が資本です。ケガや病気は後々に大きく響きます。特に自分の心は大切にしてください。
[追記]社会人として働いて3年が経とうとしていますが、これまでの部活動の目的は、先生や監督といった上の立場の人から言われたことを正確に実行する力を養う場だったのだと思うようになりました。もちろん、決められたことを精度を高くこなすというのも重要ですが、もっと重要なのは自分で何をどのようにやるのか考えることだと思っています。
大学でも若干そうですが、社会に出ると自分が何をすべきか本当に誰も教えてくれないんですよね。所属している組織の中で、若手であっても自分がすべき事は自分で考える必要がありますし、常に転職して所属組織を変えるという選択肢がある中で自分の行動を決めるのは本当に難しいです。
どこまでも自由ですが、全てが自己責任で行動することになります。
20代の自分には昔のことはわからないので妄想になりますが、きっと昔の日本社会では生まれや能力が特別な一握りの人の言うことをちゃんとみんなが実行できれば上手くいったので、今の部活の制度が出来上がったのだと思います。
最近、部活動の制度を変えようという動きになってきたのは、先生たちの負荷を下げるという意味合いもありますが、それじゃ世の中うまく行かないということがわかってきたので、学生に自分たちで行動する力を身につけてもらうというのも背景にあるのかもしれません。
それでは。