就活中ですが、やっと折り返し地点に立ったて感じです。
面接はだいたい10回ぐらい受けましたが、あともう10回は受けると思います。
ここまでくると、面接の冒頭で話すことはテンプレ化してきますね。業界も絞っているので聞かれることも似ていて、半分くらいは企業が変わっても同じことを話している気がします。
で、なんでSIerなのかって話は何度も話しているのですが、ちゃんと文章に書いたことがなかったので、ここでまとめておこうと思います。
人の志望動機は参考になりませんが、同じような境遇の人は結構いると思いますし、コアの部分は結構ベタなので、盗めるところがあったら盗んでもらって構いません。
なんやかんや研究者が夢だった
幼稚園生から高校生まで毎日サッカー、サッカー、サッカーのサッカー少年でした。
ただ小学生の時、将来の夢は何かと聞かれて周りがサッカー選手と答える中、自分は科学者と言ってました。
ここはすこし盛っていて、別に友達の全員がサッカー選手って答えていたわけではないし、僕もサッカー選手にあこがれたことがないわけではないです。
でも、もの心ついてから研究室に入るまで、なんとなく研究の道に進みたいと思っていたし、自分はそうなるもんだと思っていました。
研究者という職業に疑問がわいた
転機が訪れたのは研究室に入ってからです。プロの研究者のとなりで、自分がやりたかった研究をする。そんな日々の中でこれでいいのかなぁという疑問がわきました。
単純に最初に入った研究室が自分にあってなかったというのもありましたが、研究室を変えても払拭されなかったし、台湾の国立の研究所に10週間行ったり、メーカの研究所で2週間インターンしたりしてましたが、研究職に対してあまりいい印象を感じなかったです。
この違和感がどこから来るのかを考えると、仕事そのものの存在意義だと思いました。
大学の研究者って自分の研究が社会でどう役に立つとか、だれのために研究しているのか考えない人が多いです。逆に考えなくていいから、20年、30年後を見据えて研究ができる。それはいいことなのですが、研究成果が人々の役に立つ研究というのはその中でもほんのひと握りで、それ以外の研究は研究者の自己満足なのではないかと思い始めました。
それは企業の研究所でもあまり変わらなくて、共同研究している企業や研究案件の依頼者など、外の世界をまったく意識していないわけじゃなかったですが、例えば自動運転技術の開発の場合、メーカーことは考えててもその自動車に乗るユーザーのことを考えている人はいませんでした。
で、結局、特許取って論文出したら終わりってながれ・・・。一生この仕事続けられる自身がありませんでした。
ここまで、結構ネガティブな流れになりますが、実際面接で話すと気は流します。さっと説明しても、相手が勝手に察してます笑。
研究することが人生の目的ならいいんですけどね。
自分の目的は人を喜ばせること
で、思い出したんです。
そもそも理系を志したのは、小学生の夏休みの自由研究の経験からでした。リケジョの母に育てられたの僕は強制的に科学に興味を持つように仕組まれていたのですが、小学校三年生から夏休みは、サッカーの練習が終わったらせっせとコイルを巻いて発電機を作るようになり、その結果をまとめていました。
宿題として自由研究の域を超えていて、我ながら小学生のくせにすごいと思っています。
最初はダイオードしか光らせられなかったものの、毎年バージョンアップするにつれて、できることが増えてきました。使い方思いっきり間違ってたけどコンデンサをつけたり、磁石を変えたり、いろいろやったし勉強になった。
ただ、それだけじゃ終わらなくて、みんなに結果を見せてました。小学生だから発光ダイオードを光らせるだけでもすごいって思ってもらえる。
ついでに、県のコンテストで入選してりして、親や先生が喜んでくれて。
当時あんまり、サッカーで人を喜ばすプレーができない僕は、科学だったら他人に認めてもらえることに気づきました。
そのほかにもレンタルサーバーを借りて、英語の教科書の和訳分を載せるサイトを作り毎月1万人の人に使ってもらったり、高校の部室のブレーカーを改造して本来コンセントのない部屋にコンセントを作っていました。(両方とも犯罪です笑)
これも技術に対してこだわりがあったわけじゃなくて、単にみんなが喜ぶことをしたわけで、それにたまたま科学技術が必要だったわけです。もしかしたら、それがお菓子作りだったかもしれません笑。
つまり、僕が研究する目的は研究すること自体ではなく、人を喜ばせることにあります。
これが、大学で僕を苦しめた原因だと思うんです。人を意識できなくなると途端に虚無感に落ちる。研究にのめりこむほど絶望する。
たまたま、人を喜ばせるために自分ができる得意なことがサッカーでもなく、お菓子作りでもなく、科学だったんです。
で、時代的に科学技術のなかで、今一番人を喜ばせられるものがITでした。
技術が価値を生み出すのは人とつながった時
技術って技術だけじゃ何の価値もなくて、それを必要とする人とつながった時に初めて価値が生み出されます。
だから、企業にいる理系の人間は全員、技術と顧客を繋げようと悪戦苦闘するわけです。
ちょっと脱線しますが、技術と人のつなぎ方は二つあって、一つ目というかほとんどの場合は、最初に技術ありきでなんとか己の持つ技術を必要とする人を探すという方法です。
もう一つは初めに技術を欲している人がいて、その人に必要な技術探してくる方法。
理系の人間はおおかれすくなかれ、各々ある特定の科学技術と自信が紐づけされているので、前者の方法をとることになります。
ただ、価値を生み出すのは人から技術を探したほうが効率的に価値を生み出せます。価値を生み出すのは人なので。
だから、少しでも後者に使い方法をとりたいのです。難しいですが。
自分が思う理系の職業で、最も後者に近い働き方ができるのがSIerだと思いました。多少の縛りはありますが、ガチガチのメーカにいるよりはましかなって感じです。
こう思うのはもう一つネガティブな理由があって、自分の周りの理系の人間は年を取ってからバリバリ働けていないという理由があります。
研究職やプログラマーにありがちですが、技術者として、ある技術と一対一で紐づけられた人はその技術の価値がなくなると自分自身の価値も失います。大学にはそういう人が五万といます。(教育者として後進を育てることに生きがいを見出した人はいいですが、そうじゃない人は悲惨です)
もちろん、複数の技術を習得したり、一つ一つの技術を深堀して他人と差別化したり、新しいことをどんどん吸収することで自分の価値を保ち続ける人はいますし、どんな職業であっても理系であればその努力は必要ですが。でも、研究や情報の世界では陳腐化(オワコン化)のスピードが速すぎるので、キャリアに対する技術への依存度のバランスが取れる職種に就こうと思いました。
もちろん、価値のある技術を持つ人の需要はすごくて、その最たる例がデータサイエンティストです。
ただなんとなく、データサイエンスのブームが一生続くとは限らないと思います。
さらに、データサイエンスをかっじっている人間として思うのが、モデルに使用するツール(ライブラリ)発展がすごすぎて、AI側で勝手にデータのクレンジングからモデルのチューニングまで(データサイエンティストがやっていること全般)を行えるようになると思うのです。
その時データサイエンスは必要でもデータサイエンティストはそういったツールを開発する一部の人を除いて不要になる気がします。
産業革命以降、人は技術に仕事を奪われていきましたが、一番仕事を奪われる可能性が高いのは技術者自身かもしれません。
要はお客様に会いたい
要はお客さんに会ってお客さんのために働きたいんです。顧客に使われても、技術に使われることはあってはならないと思います。技術はあくまで使うためにあるんです。
もっと、それをかなえられる職業があるのかもしれませんが、自分の興味のなかで選ぶとSIerが一番マシという結論に至りました。
って、今は思ってます。今は笑。
ここ一か月で考えたことで、多少つくっているところもありますし、自分にウソをついているところもあるかもしれません。
就職してしばらくたってこの記事を読んだら、甘かったって思うかもしれませんね。
ただ、確かに今はそう思ったんです。だから、この記事を読んでくれている人と未来の自分と共有します。
それでは。