このたび研究室を修士進学時に変えました。同じ大学、同じ学科内で。

ということで今回はそのご報告です。

 

理系の大学にいた経験がある人ならわかると思いますがちょっと普通じゃないです。ましてや僕が通っている大学は7割の学生が学内の大学院に進学する大学です。もちろん、みんな研究室もそのままなので研究室を3月に入って突如変更するという人は非常に珍しいですね。

まぁ、多くの人が「コイツ訳ありだな」って思います。実際、いろんな人たちに相談に行きましたがみんなそういう反応していました笑。

僕だってそんなこと昔から知ってます。だいたい研究室を変える人は先生ともめて研究室にいられなくなるか、あまりにも怠惰で卒論は何とかなったけど干された人です。

ちなみに僕は前者です。割と気に入った研究室に入ったし、毎日朝から晩まで研究室に来ていたので決して怠惰だったわけでもありません。むしろ、自分的は信頼されている方だと思っていたのですが、年が明けて一気に先生との関係が悪くなりました。5回くらい怒鳴られましたかね。で、僕もついつい怒鳴り返してしまいました(反省)。最後の方はただの喧嘩で、周りからはまた始まったよーって迷惑がられてました笑。で、研究室の研究(先生の経歴?)に対して上げ足をとるようなことを言ったら研究室に居られなくなりました。

最後の週は、朝あったらすぐに「精神科に行ったら」とか、「早くここから出ていきなさい」って言われるようになって、少しアカハラ気味になっていました。

何が嫌だったのかうまく説明できないのですが、メンバー全員のアドレスがccについた雑用の指示のメールが送られるようになって、それもストレスでした。全員に送ってるところがいやらしい・・・。すぐに返さないと怒られるし。しかも、スマホのメーリングソフトで返しても怒られるし笑。

武勇伝として話のネタには使えますが、もう二度とこんな目にはあいたくないので一生上司に逆らわないって決めました。実際、寝れなくなって、食欲なくなったし・・・。

ちょっと補足しておくと、ここまでエスカレートしてしまったのは僕が研究室を変えるために動き出してからです。それまでは研究室を変えたいと言っても止められるだけでした。でも、研究室を変えるために配属に関わっている先生と相談したり、複数の研究に見学に行ったり、残るメンバーに決意を話したりしているうちに本気で移る気だと感づかれてしまい、状況がさらに悪化しました。やっぱり、出ていく人間がいることは研究室には不名誉なことだし、先生本人が言うには他の先生たちの間でうわさが立ったそうです(多分被害妄想だと思いますが)。

学問的な理由で「どうしても移りたい研究室がたまたま空いたから」って人も聞いたことないわけではないですが、移りたいと思われるような研究室は普通は欠員は出ないのであまりないです。そのほかは、先生が急遽退職されたって場合ぐらいですかね・・・。

じゃ、そんなに大変な研究室変更にどうして踏み切ったかというと、結局、教授と関係が悪くなったからとしか言えませんが、具体的な言い訳はいくつかあるので、順を追って長々と説明します。

あとで、小出しでこのことの経験を記事にするので、時間が惜しい人はそっちを読んでください。

 

 

研究室に入る動機が不純だった

 

まず、なぜこの研究室を選んでしまったかというと、英語のスキルを上達させたかったらです。教授は日本語は堪能でしたが外国の方で、研究室には海外からいらした助教の方と博士の留学生がいるという話をたまたま立ち寄ったオープンラボで聞きました。

そこで、即決してしまったのがすべての始まりでしたね笑。いや、笑いごとじゃないです、ホント笑。

この後の話にも出てくるのですが、当時、僕は海外でインターン生として働くために準備をしていました。助教と留学生が日本語ができないために研究室内の会話は英語というのは当時の僕には魅力的過ぎました。しかも、結局まったく開催されませんでしたが毎週英語の勉強会があるというのです。

さらに、半導体の研究室なのに医療について研究しているというのです。医療機器関係の会社に就職したかったその時の僕は、研究内容は一切理解できなったしあまり説明されなかったですがすべての話を鵜呑みにしました。

教訓的な話をすると、ここに問題があると思います。修士に向けて研究室見学をやり直して気づいたのですが、学部3年向けの研究室紹介は具体的な研究の話をするものです。研究の理論について掘り下げて、具体的に学生はどんなことをしてどんな成果を出すのか説明するものです。難しい話になりますがそこでその学部3年生がちゃんとついてきて来るのか見るという意味でも、ちょっと高度な話をしなければいけないと思います。それなのに、うちの、いや、あの研究室の紹介は、その研究の背景を紹介することがメインでした。それで、内容はすっ飛ばして、研究がうまくいった暁にはどんなことができるのか、夢について話すのです。

今となっては背景とか先生の夢とかそんな話どうでもいい(言いすぎました)。夢や背景だけでは大学院は卒業できないし、就職時の面接で理系のプロを前に研究について話せないです。重要なのは研究の内容、中身です。背景、いわば研究の箱は2の次です。でも、今思えば、背景しか話さなかったのは研究の中身がないから話さなかっただけでしたが・・・。

 

箱しかない、中身のない研究室

 

「研究の内容がない研究室」。そんなもんこのように存在しないと思ってましたが、あるんです。僕は若干理系オタクみたいなところがあるので、研究室はめっちゃクリエイティブなところだし、教授という存在はとにかくすごいと信じてきました。というか、信じ込まされていました、親に。だから、箱の話をひたすらされても、ちゃんと中身もあるのだと思い込んだのです。

でも、実際は医療研究なんて一切してなくて、やってることは加工機器さえあれば中学生でもできる基礎的な半導体の構造物をなんとなく毎日作るということでした。これは応用っぽいことをやってる人はみんな感じることかもしれませんが、ほんと小学生の工作です。ほんと。しかも、使用機器が十数年昔のもので、しかも死にかけだったので工作の質も残念なものでした。立派な箱があるのだから、きっと中身も凄いのだろと妄想した僕がバカでした。本当は逆で中身がないから立派な箱で隠していたのです。

なぜ、研究室なのに研究の中身がないかというと、研究室を出るときに知ったのですが、もともとあの研究室はある半導体素子を専門的に作成する研究室だったそうです。しかし、その分野自体が10年前に衰退(オワコン化)してしまい医療研究に舵を切ったようです。でも、研究を進めるのに必要な専門知識がある人間が誰もいなくて研究自体が成立しなくなったって感じでした。

それでなぜ、素人集団がいきなり医療研究なんて世界に足を踏み入れてしまったのかというと、ここからは僕の想像ですがお金の問題だと思います。研究分野って木の枝みたいある分野から新しい分野がどんどん枝分かれして広がっていくものだと思います、でも新しい芽が芽吹かずにそこで終わってしまう(枯れてしまう)分野も存在します。そんなオワコン化した研究には予算が付かなくなります。行政や企業の基金から助成金をもらわないと研究できないのに、資金をもらえなくなるのです。一方、新しく成長する枝にたくさんお金が集まりますから、この際、将来性のある分野(医療に)鞍替えしてしまえ!ってなるのです。実際に、医療研究向けの助成金をもらったことがあったそうです。でも成果が出せずに途中で切られたそうですが。

前に、「研究室選びに際に科研費のサイトを見よ」という記事を書きました。あれは結局、反面教師的な記事で研究の中身がないことはKAKENというサイト見れば見抜けるかも・・・という話です。

あのサイトは、科研費という基金が把握している研究者のこれまでの成果ともらっている助成金、そして共同研究者が確認できます(あくまで科研費と絡んでいるやつだけです)。で、毎年安定して論文出していないところは研究が行き詰っている証拠です。それに、壮大な研究をするには、もちろん莫大な資金が必要ですから、一番大口の科研費からお金をもらえてない研究室が大きな箱を掲げていたらおかしいと思ってください。かかわらないようにしましょう。そんなわけないでしょうって思うかもしれませんが、そういうことってあるんです。その最たる例がSTAP細胞じゃないでしょうか。程度に違いはありますが、グレーな研究はどこにでもあるんだと思います。ちなみに、あの研究室ではでっちあげることを「小保方る」と呼んでました(ねつ造してるわけじゃないです、あくまで箱を作ってるんです)。

あと、医療研究するには、医師免許持ってる人と共同研究しないと無理です。現実的に。

それでも、研究室ってどこもこんなもんなのかなと納得していましたが、そのころから、ほかの研究室に遊びに行くことが多くなり、なんかおかしいと感じるようになりました。

 

やばい研究室からは人が離れていく

 

ここから、また自分の話をします。ある日、いきなり先生と外国人の助教の方が言い合いになりその日から助教が来なくなりました。10月の下旬のことです。喧嘩の理由は成果が出ないことでした。その助教はテニュアトラックという制度で雇用されており、成果が出ないとクビになる可能性がありました。しかし、研究室の方針の転換の煽りで近年はずっと専門外の医療っぽいことをやらされており論文が全くでないという状況。あくまで学部生の見解ですが、テーマが悪いことは明白だったと思います。でも、成果が出ないことを教授から助教のせいにされて、それでキレていなくなりました。

これは助教のせいですが、日本語がしゃべれず、日本文化にもなじめてない助教は外国人の教授のもとにいるしかなっかたのだと思います。

結局、2週間ほど有給を消化して、ある日の朝、僕に引き継ぎのためのデータとパソコンを渡して、その日のうちに本国に帰りました。

これまで、自分は助教の下でやっていて(ほぼ2人だけの研究室みたいな感じ)、ほかの研究室のメンバーとはあまり関係性のないことだったので本当に途方にくれましたね。卒論までの道筋はついていたものの、孤独に研究を進める日々。それも僕が嫌になった理由の一つかもしれないです。一人で進めるなら研究室に居る意味ないし、単純に寂しくなりました。

それに、方向性を示してくれたのは卒論までで、一つのテーマというかプロジェクトの進む先を学部生が決めるのは不可能でした。最初はやるしかないと思って同業者の論文を読みまくってましたが、何をすべきか結局わかりませんでした。アイディアを出しても、それを調べていくうちにそんなこととっくの昔に誰かがやっているということに気づかされるし、応用したい技術があっても、論文からじゃ具体的なこと(プロセスの時間とか、どこのメーカーの材料を使っているとか)が分かりません。一か月くらいノートと論文とにらめっこしていると病みます笑

そんな僕を見かねてか、年末に研究室内のもう一人の日本人の博士が、僕を博士の知り合いがいる他大学の研究室に連れて行ってくれました。その博士は研究室の状況に対して常に愚痴を吐き続けつつも、自力で何とか頑張る、というか、なんとか後輩の卒論のメドをつけるありがたい存在で、「学ぶ環境がないなら外に求めよ」という独自の持論を展開しながら、内心この研究室じゃ無理と思っている僕をよく叱咤してくれる先輩でしたね。

訪問先の研究室は材料科学系の研究室で、僕のテーマもまさに材料科学的なテーマだったのでほぼ一年かけてまったく解決しなったことが一気に解決しました。これこそ、研究室だって思いましたね笑。それと同時に、今の研究室は何なんだという気持ちになりまし、専門知識は応用やってても必須、ていうか、今の自分に応用研究とか絶対無理ってなりました。

これは別に学部生が応用的な研究をやるなっていう意味じゃないです。応用研究をやっている研究室でも学生の教育をしっかりやっているところはいくらでもあります。実際訪問した研究室は、材料科学を使って、施術用の縫合糸や止血用のフィルムとして使える新素材を作っている研究室で、非常に応用的でしたが、そこの博士曰く学生は一つ一つの素材からしっかり学んでいるそうです。

それほどいろんな研究室を知っているわけではありませんが、まともな研究室では応用をやっていても、決して「どんな応用実例をどんな素材、技術を使って、どのような分野から生み出すのか」というアイディアを学生が出して一人で進めなくてはならないという状態に追い込まれたりはしません。もちろん、学生からアイディア出てうまくいったならそれは素晴らしいことですが、研究の道筋をつけるのは教員の仕事です。自分も「君ならできる」と言われて思い上がっていたんだと思います。でも、別に先生は僕に期待していたわけではなく、急に助教2人に消えられて学生に頼らざるえなくなっていただけでした。

そこから話は飛びますが、なんやかんやで一番お世話になったこの博士も2月の中旬にいきなり僕に今日で大学を退学すると言ってきました。いままで、僕に頑張れと言ってきた人が急に、もう無理と言ってきたのです。さらに、博士にお前も自分と似てるからいつか自分みたいになるというのです。やる気に付け込まれて利用されるぞと。

後輩の面倒と研究室の雑用をこなす時間のために一切自分の研究に使う時間はなく、さらに、いなくなった助教と契約が切れる秘書の分の仕事もやらされて精神的に参ったとのことでした。結局退学はせずに休学になりましたが・・・。

この間に、もう一人いた日本人の助教も鬱で大学にあまりこれなくなりその仕事も降ってきていたみたいです。助教が原因もどう考えても教授にあると思います。

ここまで、書いていて自分でも現実に起こったことだと思えません笑。でも、説明するのがめんどくさいことや、個人が特定できそうなことは省いているので状況はもっとひどかったです。こないだ2か月ぶりに日本人の助教に会いましたがライザップ並みに痩せててビビりました。

なんかもう疲れてきましたが、まとめると、自分含めて助教2人、博士1人、学部1人、秘書(単純に契約切れた)の5人が研究室から突如消えたということです。

 

 

卒論を書き終えて、新しい研究室が決まるまで

 

博士から退学するという話は卒研発表の3週間後のことでした。

この事実はとにかく衝撃的です。博士はめちゃめちゃ研究熱心な人で、バイタリティーあふれるという自分で何でもなってしまう人でした。プログラミングも回路設計もできるし、半導体加工機器なら何でも扱えるし、顔は広いし、研究室を選んだ理由は英語だけじゃなく、その人にあこがれたというのも少しはあると思います。

ただ、最後に本音を話してくれたのですが、ずっとここにいることに危機感を感じていて、なんでもやるのはやるしかなかったからだそうです。そのために、ほかの研究室の人や技官を頼るしかなく、それで人脈を持つしかなかったのですが、ずっと無理をしていたと言っていました。実は、博士が修士の時にこの研究室は違う大学から移ってきたのですが、移ってからはいろいろなことが上手くいかなくなったそうです。

やっぱり、科学的な専門性がないことも辛かったようですね。博士はよく「サイエンティフィックに考えろ」と言っていましたが、正直、自分の博士としての専門性に疑問を抱えていたようでした。学部生が不安になるんだから当然です。

それで、博士からこの事実を聞かされた日のことですが、その日僕は以前から話を進めていた海外インターンに先生から絶対に行かせないと言われ、怒りと悲しみと悔しさが入り混じった気持ちになってました。泣きながら行かせてくれと訴えたのにだめで・・・。

その日の朝、単純にインターンの渡航先とお金のメドが立ったことを先生に報告しただけですが、話の途中で怒鳴られて、勝手なことをしたらもう修士は卒業させないというのです。

自分を通さずに、話を進めたのが気に入らなったのだと思います。でも、話を通したら完全に教授の言いなりで動かなくちゃならないというか実現性がなくなるので、あえて海外にコネを持っているちがう先生を頼りました。

研究室内の同僚が半年前に留学先を決めることになったとき、本人の意向は全く聞かずに電話一本で勝手に先生に決められてしまったことがあり、さらにその渡航先が共同研究を狙っている研究室だったということが発覚したからです。ちなみに、前述の博士も同じような状況で一方的に海外に送られ、生活環境が悪くて体調を壊し途中で帰ってくる羽目になったということもありました。

この話は1対1で先生から聞いたのですが、先生が共同研究先に学生を送ることにこだわる理由は、自分の研究室に専門知識がないために必要なことを外部で学生に学ばせるという狙いがあるようです。さらに言うと、このことを説明するときに、先生は知識を盗むという言葉を使いました。確かに、盗むは学問の基本かもしれませんが、こちらが何も提供できないのに一方的に知識を奪うという姿勢が気にいらず。この人をもう尊敬できないという気持ちになりました。

しかも、同僚の留学の話も僕のインターンの話も大学が学生のキャリア教育のために機会とお金を用意したもので、本人たちもそう思って話を進めてきたのにそれを知識を盗むために利用しようとしていると考えると腹しか立ちません。

それで、学内でもう一人海外にコネを持っている先生を、インターンを推進している学校の部署の人に紹介してもらったというわけです。

しかも、その人は僕の意向を何時間も聞き渡航先のリストを作り、あげく、そのリストにはない別の研究所に行きたいとわがままを言う僕のために、わざわざ話をつけてきてくれた先生でした。自分の研究室の先生は自分の話を全く聞かないことを考えると、この人に頼んで本当によかったと思っていましたし、話がとん挫して本当に申し訳ないです。ただ、これからもとてもお世話になりたいです。この場を借りて、よろしくお願いします。

で、このことを博士に相談したところ、いつもは頑張れと言ってくる博士が「あきらめろ。それか研究室を変えろ、そして俺はいなくなる」と言ってきました。ショックというか呆然というか。

さらに、先生が研究室のお金を横領して買った十数万する趣味のための制御機器(何なのかはご想像にお任せします)を修理しろと言われたり、M1の先輩が採用につながる可能性のあるインターンに行こうとしたら、全員の前に数を控えるように言われたり、さらに全員の前で内定を蹴られる企業がかわいそうだから、最初に内定をもらったところに行きなさいと言われたりして・・・。きりがないのでこれくらいします。

で、最後に教授に、一人で修論書くのは無理だからテーマを変えたいと言いに行ったら、君が辞めたらあのプロジェクトを進める人がいなくなるから変えさせないと言われ。ついでに、自身の専門分野を捨てた理由、共同研究にこだわる理由、インターンに行かせない理由、助教をのことについて本音を教えてもらい。本当にこの教授についていくのは不可能と結論づけたので、次の日に専攻長に相談しに行って・・・。推薦だったので手続きもいろいろごたついて・・・。もう書けません。ごめんなさい。

[追記]1月の下旬のことでしたが、卒論提出日当日に教授が出張に行ってしまい、提出期限ぎりぎりで、誰の添削も入っていない卒論の表紙に事務用の三文判を押して学科に提出するということがありました。あとで事後報告したら、犯罪だ!と怒鳴られて・・・。

その時は返す言葉もなく、ただただ、同僚と謝罪するばかりでしたが、後々、教授が提出期限を知らないはずがなく、単純に忘れられていたと考えると怒りがこみあげてきました。形式的な行事ですが、理系大学生にとって卒論提出は4年間で一番重要な日です。なんだかんだでそこで卒業できるかがほぼ決まるのです。もちろん遅れたってなんとかなることは知っていますが、その日を忘れられて、しかも一度も誤りを認められていない現状には絶望しました。

これが教授との関係悪化のきっかけかもしれません。つまり、たった一か月で研究室に居られなくなったんです、僕は。

一言でまとめると、大学で詐欺に引っ掛かりました。




いやー、長くなりすぎました。記事としてアウトです、完全に。今日は問題が片付いた翌日ですが、思い出すと感情的になっちゃって文章もめちゃくちゃだと思います。でも、めちゃくちゃなまま公開しようと思います。

 

もし、ここまで読んでる人がいたら最後に一つだけ、

一連のことを母親に相談したら、その話を聞いた父親から電話がかかってきました。

「俺はお前を苦しめるために、授業料払ってんじゃない」

と、

ホントそれな!

普段、僕に全くと言っていいほど口を出してこない(立場的に口が出せない)父親ですが、久しぶりにいいこと言いました。

すべては、そこです。自分のために大学は行ってるんです。親に学費払ってもらって。

研究室の問題とかどうでもいい。重要なことは僕が学べるか、そして、楽しいか(就職も・・・笑)。

 

それでは。

 

[追記]研究室を変えて半年がたちましたが、今回の問題を自分の中で整理するために先生と学生のお金の流れをちゃんと認識しておくことは大切だと思いました。研究室では先生が一方的に権力をふるいがちですが、大学では先生は学生の親に雇われている被雇用者であることが研究室の本質だと思うんですよね。

お金をガンガン分捕っている先生も、そもそも学生いなければ大学にポストはなかったわけですから、やっぱり先生が雇われているという構図は変わらないと思います。

それがしっかり意識できてる人もいれば、できていない人もいる。

別に学生をお客さん扱いしろと言ってるわけではないですが、教育者はそのこと常に意識して、いやなら民間の研究所にでも行くべきです。

忘れてしまったしまった人に思い出させるのは大変ですが、せめて自分は心の片隅に置いておく必要があると思います。ちなみに僕は完全に忘れていました。