全く専門外の経済学の用語、機会費用についてのお話です。またにわか的なってやつです。経済学とは一生無縁と思われる僕みたいな人に向けて、関係なくても知っててもいい機会費用という言葉を一種の金銭感覚として紹介しちゃいます!!!

 

大学生活にはなくてはならない機会費用という感覚

 

授業を休むことと機会費用に何の関係があるのか考える前にまず、簡単に機会費用の意味について説明します。デジタル大辞林で調べると・・・

“ある生産要素を特定の用途に利用する場合に、それを別の用途に利用したならば得られたであろう利益の最大金額”

と、あります。うーんって感じですね。

そこで実際に、経済学で機会費用がどのように使われているか考えたいと思います。例えば、ラーメンの麺を生産して一日に15万円の利益を上げられる食品工場があったとします。夏季の地元のお祭りで大量に焼きそばが消費されるので焼きそばの麺を作るために、4日だけラーメンの麺ではなく焼きそばの麺を作りました。この時の利益は一日10万円。一見すると10万稼いだから良さげですね。でもここで機会費用という考え方が登場するのです。機会費用とは”ある生産要素をほかの用途で使用した場合に得た利益”でしたね。この場合生産要素は工場ですから、工場の設備と時間をラーメンの麺のために使えば15万円手に入ったので、機会費用は15万円となります。しがってこの例では機会費用のほうが高くなってしまうので、工場はいつも通りラーメンの麺を作っていた時よりも一日5万円、4日で20万円損をしたことになります。

よく、食品偽装などがあった時、工場が1週間操業停止になることってありますよね。1週間も休めて羨ましいな思っちゃいますが、企業にとっては大変なことなんです。例えば従業人50人の食品工場が一日に出せる利益は、だいたい一人当たりが出せる利益が1.5万円だとして、75万円くらいだと思います(かなり適当です笑)。これがすべて機会費用ですが、利益は1円も出ていないのでその額がすべて機会損失として毎日失われていきます。7日間休めば、525万円。まあ、罰金みたいなもんです。

機会費用の説明はこれくらいにして、大学生にとっての機会費用とは何なのか打算的に解釈していきます。生産要素とは大学生が唯一持ってる資本である時間になります。特定の用途に利用ってことは、あなたは時間を何かに使ったんです。この時注意しなくてはいけないことは、時間はボーとしても、寝ててもみんな平等に消費しちゃうんです。一日中ボーとしてなら、一日をボーとすることに利用したってことになります。そして、別の用途に利用したならば得られたであろう利益の最大金額とは、他のことに時間を使った場合に得られる利益のことです。

一番簡単な例として、アルバイトを例にあげたい思います。いつもはバイトで働いている時間に、あえてシフトを外して、何か他のことをしたとします。この時、機会費用は実際にはしなかったバイトで得られた可能性がある最大の利益になります。時給1000円で5時間働くはずだったら5000円になります。つまり、機会費用として5000円失ったんです。残念。でも、機会費用の考え方では、実際にやったことで得られた利益が、機会費用を超えていたらOKってことになります。まぁ、現実は複雑でプライスレスな要素が多いですから簡単にいい、悪いって判断できません。ただ、バイトの代わりに遊びに行った時にあんまり楽しくなくて、これだったらバイトした方がマシだったな感じる事ってありませんか。これは無意識に機会費用と実際に得た利益を比較して、損したと感じているのです。

 

実はバイトの時給より高い機会費用

 

さて、一時間の価値をバイトの時給である1000円として、時間をお金に換算する人っていませんか。ちょっとガメツイ気もしますが、機会費用の考え方を実生活にとり入れた、賢い考え方だと思います。でも、平日の昼間はその考え方は通用しないんです!

なぜなら、授業があるから。ここからまた面倒な話になりますが、ざざっと適当に機会費用を計算していきたいと思います。まず大学生卒業な単位ですが120ってとこでしょう。一年あたりには40単位。で、すべての科目が2単位もらえるとして、2単位とるために必要な時間は1.5時間の授業を15回授業に出る必要があります、つまり40単位とるには450時間必要なんです。

一般的な理系の私立の場合、1年間の授業は100万円。国立に通っていても安くなった分は税金で補てんされているので、同じことです。肝心の機会費用ですが、100万円を450で割って2200円になります。高っ!!!て思いませんでしたか。僕はあるとき自分で計算してみて計算間違いをしたのではないかと思い。計算しなおしました。ちょうどその時、一時間2400円の英会話スクールに通うか悩んでいて、2400円は高すぎるようって思っていたのですが、自分が当たり前のように出ていた授業にそんなにお金が掛かっていたと知って恐ろしくなりました。

なんか高すぎるような気がしますが、これが妥当、むしろ安いのだと思います。知識や技能を得るのって本当にお金が掛かるんです。まだ、学生の僕に何がわかるんだって感じですが、一回3000円のTOEICセミナーに参加しても確実に得られる知識ってせいぜい3,4個。資格や公務員の学校の学費もめちゃ高いです。逆に考えると、一回授業に出たら一時間当たり2200円分の知識を得ないと損しちゃいます。全然そんな価値のない授業でもなんとか自分で価値のある時間にするのです。

僕がこのように考えるようになったのは『機会費用』という言葉を知った時ではなく、一年間予備校に通っていた時でした。予備校生の機会費用は正直もっと高いです。1つ1つの授業に値段がついていて、人気の先生の授業はそれだけ高く設定されています。まさに、資本主義が支配する世界なのです。ちょっと高い授業をとると、これは一回、4000円の授業だからちゃんと聞かなくちゃ!ってなります。たまに、落ちこぼれた生徒のために1時間500円ととかで休みの日に補講をやる先生がいて。先生は小遣い稼ぎだと言ってましたが、意外とわかりやすくて本当にありがたいと思っていました。

僕は大学の授業も1つ1つ値段をつけるべきだと思っています。そうすれば、学生はお金を出して知識を買っているという意識が芽生えて一生懸命勉強しますし、先生は学生が高い授業料を払って自分の授業をとってくれたことを自覚すれば、もっとまともな授業をするはずです。

そもそも今のような学歴社会になったのは、社会に資本主義が浸透したのが原因で、学生は他人と差別化をはかるために勉強しています。ですから、大学にも資本主義的な考えを導入してもいいのではないでしょうか。

そんな資本原理主義者みたいな寂しいお話はやめにして、本題に戻ります。授業があるときの機会費用が2200円になるということは、授業をサボって何かをするともれなく2200円損をするということになります。でも、授業をサボるなと言っているわけではありません。ただ、その覚悟もって授業をサボりましょうと言っているのです。つまり、授業をサボってもほかで一時間あたり2200円分の利益を出せばいいんです。

1000円の時給のためにバイトを休むと、1000円以上も損失を出してしまいます。家で寝てる人は論外です。確かに、休むことで体調がよくなっていくらか得をしますが、2200円分休むなんて不可能です。

仮に、家庭教師などの高時給バイトで2200円以上稼いでたとしても頻繁に休むのは考え物です。理由は機会費用はしなかったこと(授業)を、もししていたら得られうる最大の利益のことです。そこにはあなたが将来に得る可能性のある利益も含まれます。授業を受けなかったがために得られなかった知識や成績があったならば将来に得ることのできた利益も含まれます。1回サボったぐらいでは全く変化はないでしょう。でも、休みすぎたらどうでしょうか。ましてや、単位を落として留年したらその分の学費が掛かりますので確実に損失を出します。

もう一つ、忘れてはならないのが授業を受けたことで得た知識や能力による将来の利益も考慮しなければなりません。そんな未来のことはわからないし、一回講義を受けなかっただけじゃ何も変わらないかもしれませんが。

2200円を超える一時間って何でしょうか。僕は一時間の単価が2200円を超えることないなんてないと思いますが、可能性があるとしたら、勉強することだともいます。貴重な経験や、能力を得られるのなら、2200円を超えると思います。例えばインターンとか。あとは、大切な人に関係することでしょうか。例えば、家族の葬式とか、親友の結構式とか。でもそれぐらい。

残念ながら、僕は大学生活で2200円以上の価値がある一時間なんてありませんでした。だから4年間学校に通って一コマしか休んだことがありません。その一コマはなんで休んだかというと、食あたりになって薬を飲んでも下痢が治らなかったから。授業中に下痢になった時の損失が2200円を超えます。

強いて言うなら、一か月間、留学した時かインターンシップに参加した時はもしかしたら2200円超えていたかもしれません。

 

覚悟をもって授業をサボろうという話でした。