今から書くことは、ここ数年モヤモヤと考えていることが、最近ある程度まとまってきたので文章として書き残したいと思います。

うーーん、我ながら自分の性格って歪んでるなって思ってしまいますが、こう思うと気持ちが楽になるんです。

何も根拠はなくて、完全な妄想です。ただ、30代目前にしていろいろなことが周りでおきて、すべての事象が今から書くことを示唆しているように感じるんですよね。

こじらせた29歳のボヤキに付き合っていただける方はお読みください。

 

人類の人口は適正人口まで減少する

どんな動物も適性個体数があると自分は思っています。適正個多数はその生物が生息している地域の食糧事情や競合の生物、捕食者の兼ね合いで決まった、その生物が持続的に種を維持できる個体数で、”自然”によってその個体数が維持されています。

ここでいう自然は、ダーウィンの進化論における自然淘汰の自然みたいなもので、若干オカルトっぽい概念です。自然は世界の管理者としてあらゆるものと相互作用しながら、世界の事象コントロールしている。それによって生物の個体数は大量に増えれば、捕食者による捕食や食糧不足によって減らされ、自然に見放された種は絶滅に追い込まれます。

人類は科学技術を用いて自然を克服しようとした結果、表面上は自然の一部から脱して、その影響を受けずに生きています。

少なくとも、人間自身は自分たちは自然から独立した存在だと信じています。それにより、人は適正個体数という概念が適応されない存在になりました。

これによって人の個体数はここ300年間で10倍近く増えたわけです。数十万年生きていた生物の個体数が数百年で10倍にも増えることができたのは、適正個体数という概念が適応されなくなり上限がなくなったからです。

 

自然の代わりに人の個体数を管理し始めたのが市場

人口が世界的増加し続けていたころのペースで人が増え続けていたら、宇宙に行かない限り、本当に人類は積んでいたと思います。今ですら、限りあるリソースを奪い合っていますが、あのペースで2倍、5倍、10倍と人口が増えていたら、完全に枯渇して人類は強制的に苦痛を伴う方法は数を減らしていたのではないでしょうか。

そこで、自然の代わりに人類の個体数を管理し始めたのが市場という人がつくりだした存在です。

マクロ的な視点でみれば、発展途上国も含めて最近人口爆破が起こらなくなった原因は市場であるということは、なんとなく感じられると思います。

市場が発達すると、あらゆるものにお金が必要になります。

市場のなかで生きていくためには、生産能力の実態とはかかわらず競争に勝つための努力を永遠に続けないといけないわけです。

そこでは、人並みに生きていくためには、競争に身を投じなくてはいけなくなり、就学や就労の条件はどんどん厳しくなります。

一人当たりの生産性は各段に上がったので、一人一人が生きていくのに必要な学習や労働は減少していくはずです。でも、市場は人々が生産したリソースを集めて、競争で買ったものにしか与えないというルールを適応することで、人類全員を永遠の労働に巻き込むことに成功したわけです。

ここで、矛盾が生じるのは、人口を増やすにはそれなりのリソースが必要なのに、そこにかけられるはずだったリソースは競争によって消費されるということです。なので、結婚や子育てに必要なリソースを得るには市場の中でしか得られないけど、競争によってそのリソースは消費されてしまうという現象が起きます。

就学年齢や就労し始めて安定する前の年齢が引きあがっていったり、共働きじゃないと生活できないという現状は市場の中で生きている時点で当然起こりうることだと言えます。

 

自然より、市場にコントロールされていた方がまだマシ

ちょうど、今自分がその現実をつきつけられているので、厳しいなぁと思いますが、今が特別厳しいとは思いません。むしろ、自然が人類を管理していた時代は戦争や飢餓などもっと残酷な方法で人類の個体数をコントロールしていたはずです。

市場は人の命までは奪わないし(精神的な死をもたらすことは多々ある)、逃げ道を用意していろいろ生き方を可能にしています。おそらく、自然に管理されていたころはいわゆるな生き方をしない人は淘汰されていたと思います。

それに、自然にも市場にも管理されなくなることが最も人にとって最悪なことではないでしょうか。管理がなくなれば、人口は無限に増えていってもっと悲惨なことが起こると思います。

今後は、人口は数百年前の水準まで下がっていくと思います。そして社会やコミュニティーの力がそれを構成する人の数が減ることに弱まり、徐々に市場の力も弱まっていくことで人口減少も緩やかになり安定するのではないでしょうか。

きっと、今ある町やインフラの多くは放棄されて自然に返還されるだろうし、インターネットによる結びつきはあるにしろ、人は地元のリソースを効率的に活用することに集中して長距離の交易は減るのではないでしょうか?

となると、ここまで高度な市場による競争は起こらなくなるので、今みたいな状況ではなくなるはずです。

 

人口が減ることによって、市場の力は減衰し、科学技術は後退する

ここから、なんで科学衰退するのか書きます。

まず、人口が減るということは、マクロに考えると人類全体の研究リソースが減少します。

今の科学技術は今世界にある研究リソースを結集してやっと得られたもので、研究リソースが減少すれば研究成果も減少します。

それだけではなく、研究資産を維持するのにもある程度研究リソースが必要になるので、維持できない科学技術は一部の生活に不可欠なもの以外を除いて放棄される可能性があると思っています。

そして、なにより、いまの科学技術は人間が生活していくためにあるというより、個人や団体が市場のなかの競争に勝つために存在します。人口が減って市場の力が弱まれば、いまの科学技術はオーバーテクノロジーで、維持するのに余計なコストがかかる技術は放棄されるのは当然だと思います。

必要のない科学技術を学ぶために勉強するよりは、自分が属する衰退した(スマート化した)コミュニティの中で生活するための資源を生産した方がいいと感じる人が増えるはずです。

ということを考えると、科学技術の進歩はここ週十年のストップしこの時代が人類史上もっとも高い科学技術を持っていた時代になると思っています。SFにはよくこの設定がありますが、科学技術が進歩し続けるのは神話で、人類の知能には限界があるという観点でも、科学技術のピークが訪れることは必ずあると思います。

 

 

今必要なことは過熱ししすぎた人類という存在をソフトランディングさせること

じゃぁこの時代の人間は何を目的に生きればいいのか?

それは、安定して人類を衰退させることだと思います。

そんなに、自分は未来のことは悲観してませんが、発展していた時代と比較すればいろいろと不都合なことは起こります。

このまま市場の力に任せて人類を極端に衰退させてしまうと、苦痛を伴う衰退になってしまうわけです。

だから、この時代の人間は自分たちをそして未来の人間をなるべく苦しまないようにして、徐々に人という存在を縮小していくことだと思います。

なんで、そんな時代に生まれなきゃなんないんだ?って思うかもしれませんが、この時代に生まれた人間しか経験できないことや感じられない幸福だってあるかもしれません。

って思う今日この頃です。

 

それでは。