受験シーズンになってきましたね。このころになると必ず受験生の時代のことを思い出してしまいます。
見事第一志望校に合格する人もいれば、残念ながら不合格になってしまう人もいる。それが受験というものです。
ここで、志望校に落ちてしまった人は一つの選択を迫られることになります。それは滑り止めに受けた大学に進学するか、浪人するかという選択です。
どちらが正解なんて絶対にない選択だと思います。たまに、浪人することを全否定する人がいますが、浪人してよかったと心底思ってる人たちは大勢います。僕もその一人です。
僕にとって予備校とは大学に合格するための知識だけではなく学ぶということが何なのか教えてくれた場所でした。必ず必要なものではないけれど、予備校は優れた教育機関といえるとおもいます。
ただ、みんな浪人すれば志望校に受かるというとそうではないと思います。
3分の1は成績が上がって、3分の1はそのままで3分の1は下がるというのは本当
あくまで体感の問題です。そういうデータがあるわけではありません。でも、模試などから受験生の成績の変遷のデータを持っている予備校の先生もそうおっしゃているのだからあながち間違ってないのかもしれません。俗にいうって程ではありませんが、3分の1説っていう人もいます。浪人したこののある人なら結構みんな知っていることです。
これは覚悟の問題です。予備校のオリエンテーションでわざわざ先生たちがこの話をするのは脅しのためにわざと厳しくいってるという面もあると思います。でも、みんな一年間浪人してみると、周りの友達の結果や自分の結果を見てあたってると思うのです。
日々、進歩もするし後退もする
1年間勉強しているのに成績が上がらない。不思議に思いませんか?
話は変わりますが、プロスポーツ選手を思い浮かべてください。彼らは当たり前ですが、スポーツにすべて懸けて生きています。年を取るにつれどんどんうまくなっている人がいる中、成績を下げ続け消えて行ってしまう人もいます。
結果を出せなかった人は怠惰だったわけじゃありません。その人も毎日練習して、日々新しい能力や知識を得ていたはずです。
じゃぁ、なんでその選手は伸びなかったのか。理由は
能力は失うのです。
また唐突に話を変えますが、骨芽細胞と破骨細胞って知ってますか?人間の骨って骨を溶かしてカルシウムに変える破骨細胞とその横でせっせと骨を作る骨芽細胞が均衡を保つことである程度の硬さを保っています。学力もちょうどこんな感じです。
今日新しいこと学んで新しい問題を4問解けなくなっている解けるようになったら、いままで解けていた問題が2問解けなくなっている。そして学べば学ぶほど得た能力も大きくなる代わりに日々失う能力も大きくなるのです。
現役時代にはもともと頭の中に詰め込んでいたものが少ないので当然失っていくものも少なくなります。でも、浪人時には最初から詰め込まれた状態から始まるので、日々失うものも多くなります。
じゃ、どうするか。答えはシンプルです。それ以上に毎日勉強すればいい。
だから、浪人生は現役時代よりも勉強しなきゃいけないんです。1日5時間勉強していた人は7時間。7時間勉強していた人は10時間。10時間勉強して人は・・・
で、勉強時間を増やせばいいって話になりますが。それにも限度があります。
やっぱり息抜きの時間は必要です。精神がもちません。それに、人によって1日に集中できる時間も限られています。集中力つければ一日に集中できる時間も増やすことができますが、そんなにすぐにはつきません。
“週6で10時間勉強して日曜日は半日休む”というのが浪人生の標準だと思いますが、これが余裕という人もいればどんなに頑張ってもできないという人もいます。
余裕という人はもっと勉強しましょう。できない人はできるだけでいいんです。
やっぱり、人には限界ってあるんです。よく限界なんて自分が決めるものだっていうことを言う人がいますが、生理学的に人間の限界はあります。
確かに、環境的に過度にプレッシャーをかけたり、自分に暗示?をかけて病的に勉強時間を増やす人もいますが、キャパオーバーになれば普通に病気になったり、能率が落ちます。それだけです。
集中力以外にも体力とかに体力とか、そういうキャパシティーは伸ばせる思いますが、受験期という短い期間でそこを急激に伸ばすのは不可能です。だったら自分がいまとり得るベストを目指す方がいい結果を出せます。
うーん。僕はまだ四半世紀も生きてませんが、自分の生物学的な限界と向き合う日々というのは後にも先にもない気がします。大学内の成績とか就活とか、大変だ思いますが、くる日もくる日も自分のギリギリ状態を保ち続けるなんてことはありませんよね・・・(ブラック企業とかならあるのでしょうか?)。
何が、受験勉強をそこまで特別なものにしているかといえば、これには終わりというものが全くないんです。どこまで登りつめても上には上がいますし、学んでも学んでも学ぶべきことはなくなりません。メージャーな模試で20万人中1位とかとる人じゃなきゃ終わりはないんです
余談ですが、ああいう人ってどういう気持ちなのでしょうか・・・。以前都内の有名進学校の代表者が学会の懇親会に来ていましたが、日本の大学はあまり考えてなくて、アメリカに進学するためにもっと勉強しなきゃと言ってました。そんな感じなのでしょうか?だとしたら、どこまで行っても終わりなんてないんです。
受験生としてやり残したことがあるか
結局、浪人しても今までよりもいい結果を残せる人は3分の1しかいないんです。あとの人は、時間とお金を浪費して結果を出せないで終わります。
自分はどうだったかというと、センター試験では現役時代より150点上がり、2次試験もうまくいって志望していた大学に合格することができました。
お金も時間もたくさん使いましたが、それに見合った見返りは得られたと思います。だから自分はうまくいったほうの3分の1だったんですよね。
なんで成績が上がったか振り返ると、頑張ったとか、偉かったとかそういう問題じゃなくて、単純に自分は浪人生活に向いていたからだと思います。
もっと、勉強したかった。それだけです。
部活を引退するまで、部活しかない日々。休みは月一回の約束でしたが、それすら守られないことがありました。テスト休みも自分たちの部だけなくて、3年生から塾に通いだしましたけど、疲れた体でまともに授業が受けられませんでしたね。
そんな高校生活も望んでそうなったわけではなくて、なんとなくレールの上を歩んでいたら、部活だけしかない生活になっていたんです。きっと心のどこかでもし人生をやり直せるなら、ちゃんと勉強してみたいと思っていたのだと思います。
確かに、部活みたいな勉強以外のことをひたすらしていた人は、浪人で成績が上がりやすいタイプだと思います。
あくまで、今までやっていやことを一切やめて、それに費やしていたものをすべて勉強に注げる人の話ですが。
でも、そういう問題じゃなくて、要は心の中でまで自分には大学に進学する前に勉強においてやり残したことがあるぞと思っていることが重要なんです。
当たり前ですが、もっといい大学に行きたいというのが浪人する人の中で一番持っている理由だと思いますが、それだけではなくて、そもそも勉強すること自体を目的、目標にできることが浪人に向いている人の特徴だと思います。
そういう人にとって3分の1説は関係ありません。そもそも、学ぶことが目的ですから、高校までの成績なんてどうでもいいんです。失っていくものもありますが、それよりもはるかに大きなものを日々吸収することができるはずです。
私は浪人することで、勉強の仕方を学びました。それに今までしたことがなかったけど学ぶって楽しいものだと気づけたことは大きな財産だと思います。
それでは。