このタイトルをこの記事を読んでいる方は共感していただけるのでしょうか?

「言い得て妙だな」と思っていただけると嬉しいですが、「どういうことやねん!」って方ももちろんいると思います。

私がなぜ、現代におけるAIを裸の王様の魔法の服に例えるかというと、それは、AIを活用していることが経営者の一種の資質みたいになっていて、ぶっちゃけブラックボックス化したAIの中身とか、導入効果とかわかってないけど、投資家とか他社の経営者とか社員に無能だと思われたくないからとりあえず、「AIを導入して効果が出ている」と言っておこうとなるわけです。

つまり、AIは「無能には見えない魔法の服」になっていて、経営者の取り巻きの投資家や社員も無能だと思われたくないので、AIを導入した経営者を褒め称えます。

じゃあ、AIで自身の業務が効率化したかというと、せいぜいChatGPTで誤字チェックぐらいしかやってなくて、投資した分の効果は全然得られてないというのが現状だと思います。

この構図の中でAIベンダーは何をやっているかというと、私自身ベンダーの立場で日々AIを導入をおこなっていますが自身の現状を客観的にこの物語に投影すると、このまさに魔法の服の仕立て屋で、裸の王様になった経営者やDX担当者を煽てながらAIを導入しているのが現状だと思っています(サラリーマンなのでしょうがないと思う半分、それではいけないと思う半分)。

なぜAIは有能な人しか見えない魔法の服になったのか?

どうして、このような状況が出来上がったのかというと、その背景にAIの導入効果を定量評価する難しさがあると思います。

他のITシステムとは異なり、AIはその出力が正しいか判定すること自体が難しく、その評価は業務で役立っているか?という極めて抽象的かつ主観的なものになります。

真面目にAIの導入効果を定量評価することは本当に大変で、実際に現場で行われている評価はユーザーの利用率とかアンケートの満足度とか、なんとでも言える定性的な指標に留まっています。お金や時間といった定量的な評価を行えているところはまずないと言えます。

この傾向は生成AIが広まったことでさらに強まって、生成AIの抽象的な出力のビジネス上の効果を計測することは本当に難しくなってしまいました。

そうなると、AIを導入した経営者はいくらでも盛って自分の成果をアピールすることができるわけです。

そして市場では、AIによる成果が投資家が投資先を選ぶ合言葉みたいになっているので、高らかにAIでの成果を発表すればすぐに市場が反応して株価が上がる仕組みが出来上がりました。

AI投資に失敗しても隠すこと容易で、もし誰かが責任取ることにやっても経営者やDX部門はブラックボックス化したAIを導入したベンダーのせいにできるし、逆にベンダーAIを使いこなせなかったユーザーのせいにできるわけです。

こういった歪な構造の中で、仕立て人であるベンダーが魔法の服としてAIを売り、経営者は裸の王様としてAIという名の魔法の服を身にまとい、本当はなにも効果が見えてないのに、取り巻きの投資家や社員が褒め称えるという現象が発生しました。

この情景を外から観た競合他社の経営者は、なんかよくわかんないけど、隣の会社がAIで実績を上げたと信じて自分もAIを導入しないとと焦りだし、そのことを嗅ぎつけたAIベンダーは魔法の服となったAIを売りつけるのです。

私はAIを仕立てて売る側の人間ですが、別にAIが実体のない服とは思いません。1つのIT技術としてはAIはそこそこ?まぁまぁ?強力な技術です。ただ、世間の期待と実際のAIはあまりにもかけ離れていると思っています。

AIの成果を主張する人の話は具体性がなく中身がない

AIでビジネスメリットを創出するには、AIが効果を発揮する経営課題を慎重に選んで、ユースケースやデータが適合したときだけです。そのための準備も非常に入念に行う必要があります。

確かに、寒さをしのげたり、ケガから身を守ってくれることはないわけではないですが、あらゆる課題を華麗に解決する煌びやかな王様の衣装ではなく、現場レベルの業務の問題に対処する泥臭い実務者のツールだと思っています。

それを高級ブランドのように誇張して成果をアピールをする時点でその人物は裸の王様になっていることがわかります。

実際にAI、特に生成AIの成果や可能性を語る人物の話はあまりにも抽象的に具体的な事例がない中身のない証言になっていることがわかります。

そもそも、AIという個別技術は、何のクラウドで運用しているかとか、セキュリティはどういう方式をとっているかとか、開発言語は何を使っているかとか、そういった一要素技術の話でありシステムやアプリケーションの設計者や実装者が扱う具体性の事項なので上流の経営者や投資家が気にすることがそもそもおかしいとも言えます。

本質的な問題はAI以外に有望な投資先がないこと

この問題の本質的な原因は経営者が全社的な問題に対する施策が万策尽きてしまっている、または残った施策がかなり痛みを伴うもので取り組みたくないが、何か打ち出さないいけないのでAIというキラキラとした魔法の服にすがってしまうということがあると思います。

投資家や社員に経営方針を話すときに、万策尽きましたというわけにはいかないですし、人員削減や事業再編といった重い話をするより、AIという夢と幻想を語るほうが話す側も聞く側も心地良いわけです。

そして、投資家は地球規模で資金の宛先を探したときに、かつてのインターネットやクラウドのような有望な投資先がないので、お金はあるけど投資するところがないわけです。それで、しょうがなくAIに投資するしかないという現状があります。

IT世界に限ってみても近年は5GやVR、web3.0など注目されけど、いまいち成果が出ずに埋もれた技術が多く、投資したいと思える投資先はAI以外にはないのではないでしょうか?

昨今のAIバブルの現状をみると、AIが実質的な価値を創出しているかはどうでもよくて、AIを合言葉に集中的にお金を集めて株価を上げて、ダメそうになる前にお金を引き上げるというマネーゲームにAIが利用されていると感じます。

それでは、AIバブルが弾けたときに大損をするのではという話ですが、IT業界限らず人類全体としてリソースを割く有望な投資先はないので、AI界隈にお金がだぶつき続けます。いつかは弾けるとは思いますが、弾けない理由はお金の逃げ場がないんですよね。

AIに夢を見るのは考えものという話でした。

話は変わりますが、裸の王様って少し変な話だと思います。仕立て屋の話が本当で賢い人間には美しい衣として見ていたとしても、国民に全員が賢いわけではなく、愚かなものもいるんだから、必ずいる愚かな国民に王様たるみきったワガママボディをさらしてよいと思うのでしょうか?変ですよね?

マッチョでピカピカな肉体ならそれでもいいのかしれませんが、絵本等でみる裸の王様ってみんな小太りであまりビジュアルがよくないですよね・・・。

まぁ、きっとこれは一種の比喩表現で現代のAIのように、当時の政治や市場で裸の王様になった人物や魔法の服になった概念があったのだと思います。ならば、このAIブームは歴史が繰り返されているだけで、人間そのものの愚かさを象徴する現象ではないでしょうか?

あんまり、こういう主張をしている人って見ませんよね。私が間違っているのか?、それかみんな有能な人しか見えない魔法の服が見えないと言って無能と言われたくないのか?

私は最初から自分は無能と自認しているので気にしませんが、

それでは。