あまり珍しいわけではなさそうですが、社会人2年目の夏に、修士に所属していた研究室から論文をファーストオーサーで寄稿して、掲載されるという経験をしたのでまとめておこうと思います。

寄稿したのはCognitive Computationという研究室に置いてあって、ごくたまに自分も読んでいた計算神経科学の学術誌です。一応インパクトファクターも5以上あるのでちゃんとした雑誌だと思います。

自分がやったことは、修士時代の修論をベースに論文投稿に必要なデータをシミュレーションプログラム(ニューラルネットワーク)を書いてまとめるということで、英語の文章は一切書いてません。

僕の誤字だらけかつ稚拙な修論の文章と、終業後にへとへとになりながらやり取りした先生とのメールを、研究室の先生とあまり面識はない先生の弟弟子的な先生にまとめていただきました。

出版された後に一応全文読みましたが、自分が学生時代にやった研究とはいえ14枚の英文を書くなんて、スキル的にも時間的にも今の僕には到底できないことです。それを自分の名前をファーストオーサーにして論文を出していただくなんてありがたい話です。

大学に残っている場合は当然、文章も書いてもっとコミットしないと行けないと思いますが、僕は大学に戻る気はないですし、研究室の実績に貢献するという意味合いが強いので、僕がすることはデータ出しくらいでいいと思います(それでもだいぶきつかった)。

肝心の論文ですが、”Neural Mechanisms of Maintenance and Manipulation of Information of Temporal Sequences in Working Memory“というタイトルです。

内容は書いてもあまり需要ないと思いますが、少しだけ書くと「人のワーキングメモリーと呼ばれる、超短期間の記憶をニューラルネットワークでシミュレーションしたら、前頭葉のこんな神経機構で実現されているような気がしたよ」という、僕が実家のお風呂に入りながら考えたことがまとめられてます。

 

 

 

卒業後に学生時代にやっていたことについて論文を出す

 

実際にそういうことになったことがない人からするとそんなことあるの?って感じだと思いますが、それほどめずらしくない話だと思います。

自分が今働いている会社の同期は60人いますが、同じ時期に僕以外に1人休日論文執筆のための研究をしている人がいました(僕が知らないだけで同じ境遇の人がまだいたかも)。

論文ではないですが、学会に出るという人はもっと多いと思います。修論の結果を発表するには修論提出後の数か月ではなかな準備が難しいので、就職してから土日に学会に参加するという話はよく聞いてました。

これはこのブログの他の記事でも書いてますが、論文の量産体制が整っている研究室は在学中に学生が論文をどんどん書く一方、自分が所属していたところみたいな、学生と先生がこまごましたテーマは時間をかけて進めるところは結果を出して論文を出すところまで行くのは時間が足りなくなることが多いです。

特に、自分は学部違う分野にいて、途中3か月インターンで研究室にいなかったので、絶望的に時間がありませんでした(就活もあったし)。

というのも一つのテーマで結果を出すには、研究を進めてある程度結果と考察を蓄積しないと、アウトプットするまでに行かないのです。逆にある程度知見が溜まれば、その後はコンスタントに論文を出せるのかもしれませんが、普通は博士やポスドクとして大学に残っていないとそこまで行くには難しいのではないでしょうか?(どのくらい先輩からテーマを引き継いでやるかにもよる)

 

 

社会人しながら研究をするのは本当に大変だった

 

正直自分は、社会人一年目で業務外でも資格を取ったり、周りが読んでる本を読んだり、ウェビナーを聞いたり、寝たり寝たりしないといけなかったので、休日昔やっていた研究の続きをするためにPCを開くのは体力的にも精神的にもかなりつらかったです。

実際、先生とのやりとりは3か月くらい続いたのですが、業務でもコードを書くのに、同じようなコードを終業後にも書くのは気がめいります。

さらに、今の自分の書くコードはヤバいですが、昔の僕のコードはもっと保守性が低く、昔と同じ結果を出すだけでも一苦労でした(スキルだけでもなく性格もコーディングに向いてない)。論文のレビュワーからgithubにコードを公開しろと言われたのですが、完全に黒歴史を公開することになりました(先輩からできないことを公表することも、できるようになるには必要と言われた)。

じゃぁ、なんでわざわざそんなことをするかという話ですが、僕個人としてはメリットも義務もなくて、完全に自己満足のためにやったと思っています。

今後のキャリアとして大学に戻ることを考えている人は、もちろんメリットがあると思いますが僕は全くその気はないです。正直お金のために働いていたほうが性に合うなと思ってます(僕はお金のためなら頑張れますが、他人のためとか大義のためには努力できない人間です)。

それに、無理やり結び受ければ結びつくなと思いましたが、テーマ的にも今の仕事とは関係があまりないと思います。

論文を出すことは卒業前に先生と約束したことですが、正直卒業してしまえば学生ではなくなるので論文のために研究する義理はありません。

途中で何度か今やってる作業って、まだ研究室にいる後輩がやるべきことなんじゃないか?と思いましたし、実際それが普通だと思います。でも、自分のコードがクソすぎて口が裂けても後輩にやってとは言えなかったです。

それでも、やっぱり自分が2年間やっていた研究を論文として世に出すことには魅力がありました。こんなしがない学生がやった研究なんて誰も参考にしないことはわかっているので完全に自己満足になりますが、やっぱり知見は誰かの知見を参考にして新たな知見を得ることで進歩していくものだと思うので、自分がそうしたように誰かの役に立ちたいという思いはあります(さっき大儀のためには努力しないといっていましたがたまに僕もそういうことを思うことがあるわけです)。

ということで、まぁ疲れたけど最終的に受理されたからよかったと思いました。

 

 

所属について

 

ちょっと思ったのは所属を今の会社にするかどうかということです。

ネットを調べてみると、正しい書き方は現在の所属組織を書くことなので、会社名を出す方が正式なやりかたのようでした。

それに、今回の論文は人工知能(深層学習)的な話が結構あって、今社会人としてやっていることもAIの業務適応なので関連してないわけでもないです。

ただ、今の仕事はかなりビジネス的な話で研究要素はあまりないですし、別に会社としても論文の数を稼ぎたいというわけではないので別に所属は書かなくていいかと思いました。

それに、この論文は会社のリソースを一切使ってないので、むしろ書いてはいけないように思えました(実際はどうなのでしょうか)。

個人的には、会社と大学というコミュニティをネットで検索できる形で混ぜたくないと思いました。実際今こうしてブログに記事を書いているわけだし、ちゃんと調べようと知れば一発でわかってしまうことですが、自分が言っていることが正しいと思ってないので、会社でやっている情報発信を、学生の延長線上でやっている情報発信をごっちゃにしたくないですよね。

ただ、期末の査定の際に、報告することがないので上司に論文を出したことを報告したら、会社のwebサイトで公表すべきだと言われました。きっとこういうことを組み合わせながらシナジー的なものを生み出せる人が仕事ができる人なのだと思いましたが、自分はそんなふうには考えられなかったですね。

 

 

今後論文を出すのか

 

機会があるのなら出すことはあると思いますが、次があるとしたら今、会社でやっていることで出すことになると思います。

あまり、研究的な要素はない立ち回りをしていますが、大学や研究機関と共同のプロジェクトを行う場合は成果物として論文を書くということはあるようです。

でも、今回は文章を書くところは先生に丸投げしてしまったので、文章を書くことに関してはまったく分かってないです。単純に英語の文章を書くことも少ないですし、それ以上に学術誌に載せるにはビジネス的な文章とは違うスキルが必要ですが、そういうスキルもないですね。

もちろん、そういうことになったらその時勉強すればいいですし、経験がある人は周りにいるので知見がある人と一緒に進められればいいと思います。

まぁ、機会があればの話ですし、そこに関していま悩むことはないですね。

 

ということで、大変だったけど念願かなって論文が掲載されてとても自己満足したという話でした。今回の話でいろいろやってくださった先生方にはほんと感謝です。

最近、自分は理系ではないのでは?と思うことがあるのですが、せっかく大学院まで行ったので学問的なところにも貢献していきたいですね(棒読み)。

 

それでは。