就活をしていると属人化という言葉をよく聞きます。 属人化とは、この人しか操作の仕方がわからない加工機とか、この人しか連絡が取れない取引先とか、特定の一人しかできないことが増えてその人がいないと仕事ができない状態におちいってしまうことです。 で、企業はだいたい属人化しないようにしているもんだと思ってます。(逆に現状は属人化しまくっているのかな・・・) なぜなら、転職や病気、産休で急に担当者がいなくなると会社は大損害を受けてしまいますし、その人しかできない仕事があると、その仕事が増えたときに必然的に個人の仕事量が増えます。ワークライフバランスなんて言ってられないです。 よくわからないですが、効率的に仕事を回せなくなるから最終的には生産性も下がる。たぶん。 ただ、今でも伝統工芸の工房や町工場で働く職人は余裕で属人化してますよね・・・。 まぁ、そんなに人の動きが激しいわけじゃなさそうですし、師弟制度的な教育方針とかで属人化しても大丈夫なようになっているのではないでしょうか。 「一人前まで30年かかかる」なんて職業があるなんて信じられませんが笑。 それでも現に今、長年働いた職人さんの後継者がいないせいで技術が失われているわけで、そういう世界でも属人化の負の側面は存在してるんだと思います。 さて話は変わりますが、大学にも師弟制的な世界があります。 研究室。 ちなみに、僕は研究室の師弟制的な空気感はなくしてしまったほうがいいと考えています。 教授はあくまで指導教官。 研究室は学生が学ぶための一時的な教室にすぎません。 しかし、現実はそれとは正反対で師弟的な価値観がはびこってるし、属人化が起こりまくってる。 今日SPIを友人と解くために友人の研究室に行ったのですが、そこである卒業生からこんな話を聞きました。 学部4年から修士2年まで3年間続けている研究があるそうですが、下の代から配属されてくる学生が少なく、だれも自分のテーマに割り当てられなったそうです。 で、今度入ってくる新学部4年生に引き継がせるために、卒業式の後も学校に来てその新入生に機器の使い方などいろいろなことを教えているといっていました。 引っ越ししてしまっているので友達の家に入りに立っているらしいですが、入社後の準備をしたいのにできないと愚痴っていました。 典型的な研究室の属人化の例ですね。 どこでもある話だと思います。 ちなみに、僕も去年修士で研究室を辞める際、一緒にやってた助教も出ていたので同じことが起きました。 自分の場合はテーマごと消滅しましたが、研究室的には損害だったと思います。教授の被害妄想もありますが・・・。 それでも、今振り返ると研究室を変更することは学生にとってはメリットが大きいです。 むしろ学士、修士、博士と同じ研究室ずっといるのは教育上よろしくない。 そもそも、学部卒で就職するのもキャリアを考える上では有効な選択の一つで、学生が長期に同じ研究室に滞在することで成り立っている今の研究室制度は悪しき属人化の典型例ではないでしょうか。 じゃぁ、どうやって属人化なしで研究室を運営するんだよって突っ込まれそうですが、基本に立ち返って、研究室を回すシステムを考えればできると思います。    

研究室を脱属人化する方法は研究の基本に立ち返ること

  研究室は卒業論文、修士論文を軽視しすぎです。 自分の時は、50ページくらい書いたものの先生は全く読みませんでしたし、同僚も後輩も誰も自分の卒業論文を読んでませんでした。自分ですら一度も読み返したことありません笑。きっと誤字だらけ。テーマ自体なくなったので今後も読まれないでいいんですけどね。 先生から卒業論文なんて学位出すための形式的なもので完成させる必要なんてないといわれていたので、自分も適当に書いていました。 ちょっと、前の研究室はそういうところは酷すぎですが、どこもそんなもんだと思います。 ただ、そこが属人化の始まりなんです。 読まれない文章なんてありえません。 文章は情報を保存して伝えるためにあるんです。この文章だってそう。 他人の研究成果が書かれた論文を読んで、それを自分のものとし、それを踏まえて新しい試みを試して、自分の結果を文章にして論文に収める。 これが、アカデミックの世界の基本的なシステムだと思います。 これって文章を使うことで属人化防ぎ、世界全体の研究の進展を効率化するために考え出されたすごいシステムだと思うんです。 企業でも、研究開発をやる人はこの流れに沿ってる。 ただ、これをするにはある程度能力が必要で、今出回っている学会誌の論文を読んで学生が研究を始めるのは不可能だし、非効率です。 そこで、先輩の学生が後輩でも理解できるようにわかりやすく、そして、詳しく書き残したのが卒業論文というわけです。 確かに、人がいるんだったら人から聞いたほうが楽です。それでも、学生は修士、博士と研究室に残るものと思うのではなく、人が入れ替わっても問題なく発展し続ける研究室運営を目指すべきではないでしょうか。   学生って結局先生や先輩、後輩に頼られたいと思ってしまいがちなので、研究室で起こるブラック化や属人化って半分くらいは学生のせいかもしれません。 それでも、属人化やブラック化で彼らの広がるはずだった世界が狭まってしまうのは、教育者の責任だと思います。 正直、学部時代の僕はこのタイプの人間で先生や教授に頼られたいというお思いが返って自分自身の成長の妨げになりました。 と言っても、このことに昔の自分が気づけたかというと不可能だと思います。 だから、研究室運勢する側の人間はそのことを踏まえて、属人化しない研究室運営、つまりちゃんと文章で知識を共有できる研究室運営を目指すべきです。 前の研究室の博士に研究室をやめる前に言われましたが、先生は僕のそういう甘いところにつけこんでいました。 教授が側からすれば、それでも学生は喜ぶんだからいいだろって思ってるんだと思いますが、属人化した学生は新しいことにチャレンジする能力が失われて、最終的には研究室にとってもマイナスに働くのではないでしょうか。 そもそも分野の廃れるスピードが激しい今、研究室の分野で仕事こなすプロになっても若い学生がその分野にとどまって食っていける可能性は低いというのは先生たちが一番わかっているのではないでしょうか。 ということで、今こそ基本に立ち返って、属人化しない風通しのよい研究室を作らない?という提案でした。   それでは。