生きていると、なんで自分だけ・・・?って思うことって結構あります。
たいてい自分がそう思っているだけで本当はみんな同じような目に合ってるかもしれませんし、本当に自分だけそういう経験をしていたってこともあります。
で、大学の飲み会の時によく出てくる”研究室あるある”にも同じような話があって、同期が数人いる研究室でなぜか自分一人だけ毎回怒られることが多いって話をよく聞くんです。
これも、その人がそういう風に思っているだけで他のメンバーも実は怒られているかもしれないんですけど、多くの場合は実際に怒られるのは毎回その人だけだと僕は感じています(この記事にたどり着いたということはあなたも心当たりがあるのでは?)。
それでなぜそういう事態になるかというと、研究室の教員の立場になって考えることで理由が一つあがります。それは、一人を怒り続けるというのが一種の教える側の戦術になってしまっているというものです。
ということで。今回は「研究室で一人だけが毎回怒られる」現象について考えていきたいと思います。
教員は効率化のために1人だけ指導する
1人が怒られる背景にはまず、2つの教員の心の動きがあると思います。
- 1人の学生が特別気に食わない
- 1人の学生が特別気にかかる
受け取る学生がどう思うかは別にして、前者は悪意で後者は善意によるものです。ただ、両極端に思えるこれらの感情も実際は怒る方は混ざって感じていると思います(9:1ってこともあるだろうし、5:5ってこともある)。
じゃぁ、なんで一人だけなんだろうかって話になりますよね。学生の気に食わない所なんて研究室のメンバー全員にいくらでもあるだろうし、その他の学生にも教員は成長してほしいと思っているはずです。
理由は簡単で、めんどくさいからだと思います。
例を出して考えてみます。ある研究室に所属している5人の学部4年生が、全員参加する学会の予稿をそれぞれ作成し、先生に提出したとします。それで、ある学生(学生Aとします)が先生にグラフの書き方のミスを指摘されて「なんでこんな当たり前のことができないんだー!、先輩たちでこんなこともできなかったやつは一人もいないぞ!!」とキレられたとします。
ただ、周りの同期を確認すると他のメンバーも同じ間違えをしていて、学生Aはなんで自分だけ怒られたんだろうと不信に思うのではないでしょうか。
そういうミスって別に毎年やる人がいますし、それ以前にそのことを学ぶ機会があればできますが、たまたまその台の学生がそれを教えてもらう機会がなかったりしてみんなできないってこともあります。
一方、教員は学生ができないことを全員に指導していくことが仕事なわけですが、5人いるメンバーにひとりひとり指導するのはめんどくさいのだと思います(本当は時間があれば1人づつ指導したいのかもしれませんが・・・)。そうなってくると、学生Aをとっつかまえて、みんなの前でキツめに怒っておけば、二度とそのミスを犯す人はいなくなります。
これが、みんな悪いのに1人だけ怒られるカラクリです。
もし、その場にいなかった人間がいたとしても、学生Aが落ち込むくらい怒っておけば、あとから学生Aが落ち込んでいる理由を聞いて自分も同じミスは犯さないようにしようと思うはずです。
もしこういうことがあったとしても、例えば先生がゼミの時にみんなにまとめて(怒らずに)指導してもいいかもしれませんが、こっちの誰か一人を見せしめにする方法の方が手っ取り早くて効率的だと考える先生も多いのかもしれないですね。
一番心が丈夫な人間(そう思われている)が怒られる
上にあげた理由だけでは、見せしめの学生が毎回同じになっていることが説明できません。
ただ、おそらく上の例に挙げた学生Aは同じ状況下になったらまた学生Aだけ怒られるという事態になる可能性が高いです。
なぜ、怒られる人が毎回決まってしまうかというとこれは大学以外でも言えることだと思いますが、怒る側は毎回怒っても大丈夫そうな人を選んで怒っています。
大学生って歳はそこそことってますが完全に大人かというとそうでもなくて、子供と大人のはざまみたいなもんだと思います。
数が多いってわけでもありませんが大学生の自殺率もそこそこあって(自殺が大学生の死因で一番高い)、精神的に病む人もいますし、先生たちにもある程度情報が回ります。
逆に、大学の教員って殺伐としたアカデミックの世界で腕っぷしでサバイバルしてポストをつかんできた人なのでだいぶ心が頑丈な人が多いのだと思います(←完全に僕の偏見です)。
そうなってくると、教員から見た学生の心って豆腐みたいなもんで扱いずらいのかもしれません。実際、今まで僕が経験してきた研究室では、まことにエモーショナルな事件がいろいろ起きていて、僕含めて泣いてるやつとか普通にいるし、喧嘩しているやつもいるし、はたまた教員に喧嘩をふっかけてくるやつもいます。
だから怒る側は適当に怒っても大丈夫そうなやつを見つけて、ついついその人を毎回怒りたくなるのだと思います。
この戦法をとると、逆にメンタルが弱い人は他人を怒らるのを見て自分のミスを指摘されることになるので、直接怒られなくてすみます。教員側からするとかなり効率的な方法だと思いませんか?
つまり、毎回怒られる人=怒っても大丈夫だと思われている人なんです。
もしかすると怒られ癖がついているのかもしれません。心当たりがある人は注意です。
[追記] 社会人として数年働いて気づいたことですが、一見するとストレス耐性が高くみえる、根性・気合で乗り切るような体育会系の人の中にも、実は繊細な人は多いです。
あと、肉体的な負荷によるストレスと人間関係やプレッシャーといった精神的な負荷によるストレスの耐性は全く別物(更に細かくみると精神的なストレスにも種類があって人によって受ける影響がそれぞれ違う)ので、自分もしくは他人のストレス耐性をその人の言動やこれまでの経験から判断するのはやめたほうがいいと思います。
嫌だったり、きつかったりしたら早めにシグナルを
先生ともめて、研究室にいられなくなった人間からのアドバイスとしては、不満をため込むのは良くないです。
そういう不満をため込むとあとあと問題が大きくなることがあります。一度おかしな方向に進みはじめて、ある程度行ってしまうともう戻れなくなります。
あなたが本当にそうなのかは別にして、周りからはあなたは多少は雑に扱っても大丈夫と思われているかもしれません。
さらに、それくらいされないとわからないと思われているという可能性もあります。
まぁ、それでいいと思うならそのままでいいかもしれません。でも、あなた自身も大丈夫と思っていても長い研究室生活の中で、自分を回せなくなってしまう可能性はあります。
もし、「無理かもしれない」とか、「こういう目に合うのは嫌だ」とかそういう感情を感じたら早めに意思表示をした方が後々楽かもしれません。
声なき声は、ないのと同じです。表面に現れない感情は外の人からしたら存在しないということになってしまいます。
今の状況はあなたが変わるチャンスかもしれない
自分の周りのよく怒られる人たちはどうだったかというと、学部、修士と経て先生をコントロールするすべを身に着けていましたね。上の人間の扱い方も研究室で学ぶことの一つなのかもしれません。
研究に特化した機器の扱い方は、その研究から離れてしまえば使えなくなりますが、人間の扱い方は一生役に立ちます。
今回記事に書いたことがあなたの身の周りに起きていることに当てはなるかはわかりませんが、もし悩んでいるのなら、まずすべきことは相手を観察して心理や行動原理を分析することだと思います。
その上で、相手に変わってもらうことは諦めて(ある程度、歳がいった人間が変わるのは不可能です)、じぶんがどう変化すればこの事態に対処できるか考えてみるといいかもしれません。環境を変えるって手もあります。
我慢は最終手段です。
それでは。