社会人3年やって、自分気づきましたシリーズ。

当たり前のことしか書きませんが、やっぱりそうだなぁと思うことがあったので文章にしたいと思います。

 

最近、採用関係の活動をややします。別に面接とかはしませんが、うちの会社に興味がある学生と話したり、就活系のイベントに出たり。

そこで、ふと、先輩風を吹かせて熱く語りたくなったことがあります(恥ずかしいので語ったりしませんが・・・)。それはタイトルにもなっている”働くことにおける共感の重要性”です。

そりゃ、会社の経営理念とか上司とか同僚(後輩も)に共感できるならできたほうがいいとは誰もが思いますよね。でも、就活しているときや転職活動をしている時は、それよりもお給料とか会社が潰れないかとか、そういうことを考えると、共感できるかなんて綺麗ごとは二の次、三の次でしょ!ってなるのではないでしょうか?

少なくとも自分はそうで、特に自分は他人の対して共感が薄いというか、感情的な感受性は疎いというか、あまりそういうことを大事にしていなかったので、あんまり重視してませんでした。

単純に会社の安定性とか、業務内容ばかり目が行っていて、共感に関して意識して考えるということはあまりなかったわけですが、まぁ感覚的にこの雰囲気は好きだなとか、嫌いだなとかはあったので、無意識に見ていたのかもしれないです。

そもそも会社の理念なんて口だけで形骸化してるかもしれないし、入社するまで内部の人と話す機会は限られているので、個人レベルで共感できるかできないかみたいなところまでは企業研究はできないですよね。

でも、ここは結構重要視していいと思うんです。お金や業務内容と同じくらい。

ということで、今回は働くことに共感が重要な理由を考えたいと思います。

 

 

働くことで一番重要な個人の資本は精神

 

働くことに限らないですが、基本的に個人が何か行動を起こすことの資本って”時間”か”体力”か”精神”になると思っています。

(生活することに事欠かない資金力があるなら、お金を使って投資するということもありうるかもしれませんが)

就活の際に注目されるのは”時間”の部分だと思います。時間に対してどれくらいの対価が支払われるのか、それが大体の企業の労働形態なのでそこに目が行くのは当然です。

体力面に関しては、デスクワーク中心の仕事では重視されないのではないでしょか?肉体労働がある場合は、見えやすいところはなのえ比較しやすいかもしれません。

そして、”時間”よりも”体力”よりも重要で、さらに働く前に知ることが難しいのが”精神”の部分です。

なぜ、精神が需要なのか、それは働くことの幸福感に直結していること、そして、枯渇したときに一番ダメージが大きく、回復に時間がかかるからです。

睡眠時間がないほど時間がない、体力的にきついという状態はもちろん避けたいです。ただ、それイコール不幸にはならないんですよね。

それに奪われとしても限界があります。時間は一日24時間以上奪われることはありませんし、体力もあまりにも奪われすぎれば怪我という形で健康損なわれますが、怪我をしてしまえばそれ以上働くことはありませんし、体の一部分を切断するとかじゃなければ、回復します。

でも、精神は底なしに奪われ続けるんですよね。そして奪われてしまえば確実に日々の生活、そして生きることの価値が減衰してしまいます。仕事は仕事と割り切ってしまえばいいと思うかもしれませんが、睡眠以外の時間の大部分を労働に費やすことになりますし、精神が損なわれると他のことに持ちが割けなくなってしまいます。

そして、実害が出たら休めばすぐに元通りというわけにもいかない。肉体的な怪我のように直接的な処置はできませんし、いつ直るか検討をつけることもできないです。ほかの資本(時間、体力)と異なり、お金のためと割り切れないのが精神なわけです。

 

 

やりたい、やるべきと思っている仕事の精神的コストは低い

 

仕事は自分がやるべきと思ってやることと人から頼まれて(指示されて)やることの2つがあります。

自分からやろうと思ったことは、自分がそのことをやる意味を生み出したことなので、労働するということに心の迷いや疑問が起こりにくいです。

ほぼ24時間働き通しで、間を縫って休息をとるみたいな働き方をしている人がいます。自分の周りのそのタイプの人のことを思い浮かべてほしいのですが、その人は、自分がその仕事をやりたい、もしくは自分がやるべきだと思っている人ではないですか?

起業家や作家のような職業は自分から働く意味を見出していることが他者から見えやすいですが、組織で労働している人は一見それが見えにくいかもしれません。

ただ、その人にも、現実したいことがあったり、貢献したい人や集団があったり、単純にお金を稼ぎたかったり、何かしら理由を持っていると思います。

こういう状態の人は、働くことに対して精神的なコストがかなり低い人が多いのではないでしょうか?

もちろん、そういう人でも納得した仕事ができない、自分がやりたいことが正しいのかわからないなど葛藤はあると思います。ただ、”労働することに比例して精神的なコストを支払い続ける”という状態には陥らないので、時間当たりの精神コストは普通の人よりも低いことが多いわけです。

 

 

やりたいこと・やるべきことを見つけることは難しい

 

だったら、みんなやりたいことをやればいいじゃないかという話になりますが、これも結構難しいと思います。

やりたいことだけやっても組織は回らないですし、やりたいことをしてお金を稼ぐというサイクルを成立させることは当たりまえですが、簡単ではないです。

そして、なによりも、自分がやりたいこと・やるべきことを見つけるのは難しい。大きな事でも、小さいことでも、自分でやるべきことを見つけるのは誰でもできるような簡単なことではないです。

私は自分がやることを知っている人は尊敬してしまいます。たとえ、うまく行ってなくてもまずそう思えることがあるだけ素晴らしいです。

でも、みんなそう思えることがあるわけではないわけで、そうなるとみんな働く意味も生きる意味も見失ってしまいます。

本当はやる必要がない。もしくはやってはいけないと思うけど、指示されたからしょうがなくやる。お金のためだと割り切って。どこの会社にもある風景かもしれませんし、だれもが多かれ少なかれそういう経験をしながら生きているのかもしれませんが、心を擦り減らせて生きる日々を望むべき結末ではないですよね。

それで、重要なことが共感になるわけです。

 

 

共感は他人のやりたいことやるべきことを自分のものにできる

 

やっと今回の記事の本題に入ります。

共感が重要な理由はここにあると思います。

何事も始まりには、誰かのやりたいもしくは、やるべきがあります。それは「より便利にしよう」とか「誰かを助けたい」、「新しい発見をしたい」みたいな理由もありますし、「売り上げを安定させるために別の領域に投資したい」、「ブランド力向上のためにこういう製品を世に出したい」とか「新しい顧客を獲得したい」そういう理由がいろいろ混ざって仕事って生まれます。

今あげた理由は割ときれいな理由です。実際は「めんどくさいから誰かに頼みたい」とか、「予算が余ったから使っておきたいとか」そういう理由もあります。でも、必ず最初に誰かのやりたい・やるべきがあるんですよね。

さらに、仕事が動き始めると新たに理由が生まれたりします。「この領域の知見を増やしたい」とか、「評価につながりやすい」とか。

そういう思いを共感することができれば、自らやりたいこと、やるべきことを生み出さなくても、精神的コストを下げて働くことができます。

これは、精神リソースが枯渇してくる結構重要になってくるんです。

逆に、共感ができないと精神リソースが消費されジリ貧になってきます。そうなってくると、たとえ時間やお金、体力に余裕があっても働き続けることができなくなるかもしれません。

この共感事態も難しいことかもしれませんが、自分の知識や視点が増えてくるとより共感しやすくなっていくと思います(そんなに働いていないのでわかりません)。

でも、どうしても性格的に信条的に難しいというのもあるので、働く環境を選ぶときはなるべく自分が共感しやすい環境を選んだほうがいいのではと思うわけです。

 

 

というわけで、今回は共感の重要性について書いてみました。

そりゃ、労働条件やお金は大事ですし、業務内容も重視すべきです。でも、自分に合った職場を選ぶのに一番重要な観点は共感のしやすさかもしれません。

 

それでは。