別に大腸菌に限った話ではないんですけど、大腸菌って何らかの条件で細胞内に侵入してきたDNAを自分の遺伝子の核に取り込んでしまうんですよね。

さらに、その性質は次の世代に受け継がれるわけです。

例えば、ある毒素を作るたんぱく質を発現させるDNAを他の細菌から取り込めば、その大腸菌とそのどの世代はみんなその毒素を作り続けます。(その大腸菌が自分が作った毒素で死ななければ・・・)

で、最近思うんですけど、人間もそこそこかかわった人の一部分を取り込む能力があると思うんですよね。

いや、さすがに身体的なものを共有するのは無理で、別に足の速い人と2人部屋の学生寮で一年間生活しても足は速くなりません。そうじゃなくて、精神的な話、ハードじゃなくてソフト面だけです。

でも、大人になればなるほどその人の形作る要素って目には見えないところが需要だと思うんですよね。子供時代は足の速さとか、背の高さとか、力の強さとかそういうのが重要だったかもしれませんが、大人になってしまうとそういう身体的な要素で生活や人生が変わることってほとんどないと思います。

人の行動とか、その結果ってほとんど頭の中にあるもので決まるのではないでしょうか。それで、そういう人のソフト的なものって日々変化し続けていると感じるわけです(脳科学やってるからかな?)

 

価値観や思考は伝染する

 

じゃあ、他人の何が自分に取り込まれるかというと、思考とか価値観です。

大学に入ってからなんですけど、自分の周りの人間で、自分はそう考えるけど、そいつは昔は明らかにそうは考えなかったのに、気がつくとそういつも同じことを言ってるってことが多々あるんですよね。

逆に昔の自分はそんなこと考えなったのに、日ごろ合うことの多い人間が考えることとそっくり同じことを自分も考え始めるってことって結構多いです。(そもそも僕は他人に影響されやすいんですけどね)

まぁ、単純に二人とも同じ状況に立たされたので、同じことを思っただけかも入れないんですけど、自分を分析していく中で自分の思考回路や価値観が他人由来だったってことがあるんですよね。

誰から移るのかといえば、普通に考えたら、親や先生、先輩ですが、学校や職場の同僚から影響されることも意外と多いだろうし、部活や研究室の後輩って可能性もあると思います。

そもそも、この話を記事にしようと思ったきっかけなんですけど、Twitterでツイートをよく見る意識高い系エンジニアの方が、自分が大学時代に戻ったらやりすぎるから麻雀はしないかなって言ってたんですよね。

それ以外のツイートからもその方はかなり麻雀にのめりこんできたことが伺えて、多分雀荘に入り浸っていたんだと思います。

で、もしその方が学生時代にその麻雀にはならなかったらたぶんその方は別人になっていたと感じました。

なんとなくなんですけど、その人の言動から麻雀を打つ人特有の思考みたいのってあると思うんですよね。

そういうのって麻雀打っている中で麻雀仲間から取り込んだものなのではないでしょうか。

とりあえず、一緒に雀荘にいりびったっていたら相当な情報を交換しますよね。その中にはその人の人生や性格に関わるエッセンスが混じっていて、そういもの脳内で理解すると自分のものとして取り込まれていくのだともいます。(その方のことはなんも知りませんけどね笑、そういう架空の人がいたとしてください)

オーラルコミュニケーションだけが思考や価値観が移る原因じゃなくて、スポーツでも、仕事でも、ギャンブルでも一緒に誰かとすれば、その人が同のような思考をしているのか分析して、自分の脳内で再生するという作業を誰でも行います。その時に、再現された思考が大腸菌がDNAを自分の核に取り込むように自分のものになっても不思議じゃないです。

 

 

それが自分にとって有益かは関係なく思考は取り込まれる

 

大腸菌はDNAを取り込むとき、それが自分にとって有益なのか有害なのかなんて考えません。ただ、細胞膜をすり抜けたり、感染したウイルスが残していった遺伝子を取り込むだけです。

そのせいで致命的なエラーが起きればその大腸菌は死んでしまうし、有益だたら大繁殖するので最終的に大腸菌に有益な遺伝子だけが残るわけです。(おそらく大体の遺伝子情報は毒にも役にも立たずに遺伝子内のごみとして蓄積するのだと思いますが)

これは人間にも言えることで、有益なのか考えることないしに思考は取り込まれます。例えばめっちゃ嫌いな人と同じようなことを自分も考えたり、言ってしまうことってありますよね。

ちょっと昔の学園ドラマで不良少年が先生にお前は腐った林檎だ!っていわれるシーンがあるような、ないようなって感じですが、ああいうのも同じ原理で、その不良少年の言動から周りの人間もその思考を取り込んでいってしまうのではないでしょうか。

その少年に多少魅力があったのかもしれませんが、周りの人間はその人の思考が自分に有益なのか考えません。そもそも、その人から得たものを自分で認知できないし、取り込んだ後はあたかも最初から自分のなかにあったと錯覚してしまいます。

さらに、ある人にとっては有害なものであっても、違う人に渡れば役に立つってこともあると思うんですよね。

学校でも、職場でも、家庭でも、遊びでも、どこでもこういうことは起きるともいます。宗教も見方を変えれば、経典や儀式といった媒体を通して思考を複数人で共有することに本質があるのではないでしょうか。

 

 

多くのものを取り込んで自分を広げる

 

人は日々他人から思考を取り込んでいるわけです。で、選べない。

例えば、ネトウヨやパヨクの方のような偏った価値観を一方的に受けると危険だと思います。

よく遺伝子多様性って言いますが、種族内にいろいろな環境に対応できる遺伝子を持っておくとその生物は絶滅しないわけで、人も生き残っていくためにはできるだけ自分の中に多くのものを取り込んでおくので、全体としてバランスを取っておくことが必要だと思います。

この先生きていくためにどうようなことが求められるかわかりませんが、他人からいろんなことを取り込んでおけばそれが必要な時に役に立ちます。気候が寒冷化したら、細胞内を凍らせないための遺伝子を取り込んでいた大腸菌だけが生き残る的な笑

で、人と大腸菌が違うところは、人が得たものは次の世代に受け継がれずにリセットされてしまうことなんですよね。

でも、いつ何が必要になるかわからない。だから、早めにいろいろなものを取り込んでおきたいなと思います。

皆さんどう思いますか?

 

それでは