先週、家の周りの住宅街をなんとなく歩いていると、手を繋いで歩いている男子高校生2人を見かけました。
同性の友達同士で手を繋いで歩いていることもあるかもしれません(男で高校生になっても友達同士で手をつなぐことはないと思いますが・・・)。
ただ、発している雰囲気が男友達という空気ではないなと感じました。
自分には、あったら必ず喋りかけるくらいの関係性の人間に恋愛対象が同性の人間はおそらくいません。もしかしたら、職場の同期や大学時代の友達とかで同性愛者の人がいるかもしれませんが、そういう話を聞いたことはありませんし、普段頻繁に会話する人は男も女も簡単に言ってしまえば異性志向が強い人生を歩んでいる人間が多い気がします(単に、自分が浮いた噂が好きなのでそういう話をよく聞くのかもしれません)。
それでも、大学時代はキャンパス内でそういう噂をちらほら聞きましたが、直接話しを聞いたことがないので、該当する人たちがどういうことを考えて、何を感じているのか全くわかりません。
そんな自分ですが、ふと同性婚について考えることがあったので、文書を書いてみます。
普通の家族をやるって本当に難しい
なぜ、急に同性婚について考えたかというと、話が飛びますが去年子どもが生まれて家族という概念について考えてみたことがきっかけです。子どもが生まれていろんなことが起きましたし、同時に家を買ったり、いろいろ家庭環境に関して変化があったんですよね。
別に今に始まったことではないんですが、子どもが生まれて自分以外の誰かと一緒に生きるってこんなに大変なことだったんだな・・・としみじみ実感しました。
大学進学と同時に家をでて、バイトやサークルはやっていたものの大学では基本一人で勉強して、卒業後就職して今にいたる自分はしばらく忘れていましたが、家族で生きるのって本当に難しいです。
10年以上前に、しんどくて家族一員をやめるためにわざわざ実家から通えない東京の大学を受験したときの感覚を結婚して思い出しました。
それは別に子どもがいるから特別大変というわけではなく、普通に結婚するのも、同居するのも大変ですし、パートナーという関係性でなくても、学校や職場の人間関係に消耗させられ続けています(大学にいた6年間だけ少し開放されていたが研究室ではめちゃめちゃ辛い目にあった)。
特に、自分は妻と価値観が180度違うので、何をするにも意見が合いませんし、お互いの親戚もタイプが違うので、合わせてもらうことでやっていけてますが、人がコミュニティを築いて生きていくのは簡単じゃないです。
いわゆるステレオタイプな普通の家族でいいんです。でも当たり前だと思っていた人生を実現することは本当に難しい。精神的にも、肉体的にも、金銭的にも様々な困難に対処できなければ、自分も周りの人も幸せに生きていくことはできない。これは、現代だからどうのという話ではなく、古代だってそうだし、人間以前に生物みなそれに命をかけて、多くの犠牲を払いながら生きながらえてきたのだと思います。
現代は現代で家族や社会が抱える問題がありますが、単純に人が人と生きる難易度は確実に昔よりも下がっていると感じますが、それでもどうしても難しいんですよね。
だからといって、家族からも社会からも離れて、山に籠もって一人で生きるわけにもいかない、結局群れないと生きれない社会性動物である人間は多くの犠牲を払いながらコミュニティを築く。悲しい動物だと思います。
2人というコミュニティを維持するのに社会的な縛りは必要だった
家族と書きましたが、子どもがいなければ家族は2人だけであって、結婚してなければそれは家族とは呼べないかもしれませんが、カップルという最小のコミュニティになります。
自分が結婚しようと思ったのは、この最小のコミュニティを維持するために、社会規範や法律による制限が必要だと思ったからですね。
ある意味自分の怠惰なのかもしれませんが、付き合っているという状態を維持するためのいろいろな問題に今後も耐えられる自信がなくて、結婚という法的拘束力のある契約で自分と相手を縛ることでこのコミュニティを維持させたいと望んだんですよね。
でも、結局のところ結婚前に上がっていたいろいろな問題を結婚届を提出するという行為だけで根本的に解決することはできなくて、事あるごとに問題は浮上しますが、それでも今の家族を維持するために自分は結婚という縛りに精神的にかなり依存しています。
付き合っている状態では、なにか問題があればそのコミュニティを解消することを検討しなければいけませんが、結婚してコミュニティに対応する戸籍を手に入れてしまえばその可能性を検討する必要がなくなります。
それに、根本的に問題が解決されたわけではないと書きましたが、それらの問題の多くは結婚により程度精神的負担が軽くなったことは事実だと思います。自分は日常の些細な?大量のことでストレスを感じることがありますが、二人の根本的な関係性について苦しさや不安を感じることは結婚後は極端に減りました。
それは、2人で暮らすということだけではなく、人生全体に対して安定をもたらしてして、そういう意味で自分は結婚という人生の墓場と言われる縛りに精神的な依存をしています。
人生において自由を奪う縛りは必要なこと
結婚に伴う縛りは、民法における規制だけではないです。自分は夫婦別姓もいいのでは?と思っていますが、名字を変えれば職業活動や政治活動における氏名が変更されることでかなり制約を受けますし、親戚づきあいも新たな関係性が増えて、その関係性に一生縛られます。
ペアローンを等で財産を共有すればそれもまた縛りですし、日々の時間の使い方、生活の仕方など生きる上での根本的なところが制限されています。
当たり前のことかもしれませんが、子どもが生まれることも大きな縛りの一つです。今の自分は、時間もお金も制限されて、中学生か小学生のとき並に自由が後退したなと感じています。
ただ、自由が奪われたことで不幸だとは思わないです。むしと自分の自由を担保にすることで多くのものを得たと感じています。
子どもの成長を見ていると感じますが、生まれてから人は自由をどんどん得ていきます。好きなように歩く自由、思ったことを話す自由、欲しいもののためにお金を使う自由など、どんどん自由が増えていきます。
そして、自由を得ると同時にその自由を縛る権利も与えられると思うんですよね。それは、パソコンになにかのソフトウェアをインストールすると一緒にアンインストーラーが配布されるようなもので、人生の序盤は自由を得るために人は生きますが、20代そこらで何かを得るために、自由を担保に自分を縛って生きていくのだと思います。そして、誰しも呼吸する自由すらなくなってこの世界から消えてしまう(寿命を担保に生を得ている感覚?)。それが人生だと思います。
その最たる例が、結婚だと思うんですよね。結婚は人生の墓場以外の何物でもなく、法律に書かれていること以上に強い縛りですが、それによって家族という維持するのが本当に難しいコミュニティを精神的にも金銭的にも強固なものにしているんですよね。
例えば親戚付き合いも顔合わせの時点でかなり縛られた感覚を感じましたが、家族を維持するために親戚内の助け合いというのはものすごいものがあります。
それに、職場もそうですが、行政の支援もすごいですね。結婚するまで行政に助けられているという感覚はありませんでしたが、結婚してからはお世話になりっぱなしで税金を払うのもしょうがないという気持ちになってきました。
別に結婚してなくても2人のコミュニティを維持することは可能です。でも、少なくとも自分は結婚という契約なしでこのコミュニティを維持する自信はありませんでした。
それに、人は誰しも弱いと思うんですよね。それなのに立ちはだかる困難はあまりにも多い。
確かに、精神力と経済力があれば結婚という制度がなくても関係性を維持できます。でも、手段は選んでいるほど生きるということは甘くないと思うんですよね。
同性婚が認められたとして役立つかは別問題
パートナーシップ制度などもありますが、法律的にも、自分と他者の精神的にも、結婚ほど強力な拘束力はないと思います。それも考えようですが、周りの捉え方も違うのではないでしょうか。
もちろん、仮に同性で結婚したとして、異性で結婚した際の得られるメリットと同等のものを得られる保証はありません。だから、結局同性婚が認められても選択する人は限定的かもしれないですよね。縛りが役立つのかも自分にはわかりませんが、同性カップルの方が結婚の縛りが有効な場合もあると思います。
それでも、利用することによって上手くいく人生があるなら制度として存在するべきなのではないでしょうか?
恋愛対象の趣向に関係なく、人生に結婚相手は選ぶような余裕はないと思います。ここは全く自分は知識がありませんが、同性愛者の人は余計に難しいのではないでしょうか。
赤の他人の存在がいつの間にか、衣食住や仕事よりも優先度が上がって、人生で最も重要なことになった時に選択肢が多いほうがいいですし、自由を担保に自分を縛って幸福を得るという権利は誰しも平等に持つべきだと思います。
という意味で同性婚は認めるべきだと思います。