大学院の単位稼ぎのために「コミュニケーション論」という授業をとってます。

大学に行ったことのない人からすると「コミュニケーション論」ってなんの授業だよって思うと思いますが、「コミュニケーション論」って名前の授業は結構ありがちな授業で、文系理系問わず開講しているお大学は多いのではないでしょうか?

まぁ、モヤっとした科目名なので、内容も先生によって全然違うと思います。ただ、多くの場合単位のとりやすい授業なのではないでしょうか。知らんけど、

で、僕が受けている授業はどんなものかというと、学校とか職場とか、地域社会における人間関係の問題を知って、問題と解決策を議論するというものです。ほとんど雑談って感じ。

最近は身近な人間関係について深堀しているのですが、みんな口をそろえて言うのは、高校時代よりも大学時代の方が人間関係を構築するのが難しいということです。

つまり、友達がいなくて、いわゆる”ぼっち”状態になるということが多いという話ですが、これは自由が保障された大学では多少はしょうがないことだと思います。

僕も大学に留学する前は掲示板とかSNSの友達ができない的な投稿を見て、自分も苦労しそうだなぁと思ってました。実際どうだっかというとそんなに多いというわけじゃないけど、サークルとか学科とかに適当に友達はいましたね。

 

大学生が孤立していしまうのは自由すぎるから

 

自由が保障されているということは、帰属している集団の縛りが少ないってことです。

学部が何個もあって一つの学部に何人も学生が所属し、キャンパスもたくさんあるような大きな大学ほど、一人ひとりの行動に対する選択肢がたくさんありますし、その自由を享受して自主的に行動するのが大学の学びだと思います。

一応、クラスといった制度があることもありますが、クラスの規模も大きいし、必修以外の授業は何をとってもいいので一人ひとり受ける授業は違います。

となると、自分の所属組織は大学というデカいくくりだけで、部活やサークルに入ったいり、バイトをしない限りほぼ無所属ということになりかねないんですよね。(4年生からは研究室やゼミがありますけど・・・)

しかも、大学って提携している大学なら別の大学の授業で単位をとれるので、日本全国どこにいても大丈夫という途方もない自由が手に入ってしまうわけです。

いままで、日本の教育制度の中でクラスや部活、委員会(清掃班とか登校班とかも?)でガチガチ拘束されてきた人間とってはこの自由は良くも悪くも生活を変えてしまうわけです。

自由が与えられて、めちゃめちゃ勉強し始める人がいれば、スポーツに明け暮れる人、バイトに熱中する人、遊び歩く人、引きこもる人、普通に暮らす人と人それぞれなんですが、強制されないので高校までにあった生活の中で自然にできる人間関係が極端に少ないんですよね。

じゃぁ、どうやって友達を作るかというと、サークルやバイトなどの集団に自分から所属したり、趣味嗜好が似ている人のグループを作ったり、キャンパス内で自分から話しかけたり、遊び仲間を探したり、自分から能動的に行動する必要があって、それをそこそこ忙しくて疲弊している中でも並行して常に人間関係を構築し続けるのは結構大変なんですよね。

まぁ、こういうことが得意て人は特に苦労しないで友達や仲間ができると思うんですけど、だいたいの人はクラスや部活などで自然に友達ができていたので、改めて友達を作るために行動しろといわれても困るわけです。

自由だからいいってわけじゃないってことですかね。

 

 

じゃぁ、どうしたら友達はできるか

 

人間なんで、自由だから友達ができなくてもしょうがないって割り切るわけにはいかないです。やっぱりそこそこ友達がいないと精神衛生上良くない。それに、大学は情報戦なんで耳寄りな情報とか、絶対知っとかなくちゃいけない情報を共有できる人間が必要です。

ついでに、阿漕な言い方ですが、バイトでも恋愛でも研究でも就活でも本当に人とのつながりがものをいうので、人脈はあって越したことないです。めちゃめちゃ待遇のいいバイトってバイトルみたいなところには求人出てなくて、ほとんど友達の紹介で成り立ってます。就活でも、OB説明会とかって公では話が回らなくて、先輩づたえに話がくるってこともあります。

直単に言うと、孤独の理由が自由なら自分の自由を奪ってしまえば、嫌でも孤独から解放されるのではないでしょうか。

ただ、そこにどういう人間関係が待ち受けているのかはわからないです。いままで部活やクラスの人間関係に悩んでいたように、そこでも同じトラブル抱える可能性はあります。

じゃぁ、具体的にどうすればいいかというと、まぁ一番簡単なのは自分が興味ありそうなサークルに入るのが一番手っ取り早いです。

サッカーとか野球とかスポーツのサークルだったらそれが好きなやつが集まるんで、試合観戦とか共通の趣味がありますし、もちろん音楽とか、絵とかでも同じ趣向の人と出会えますよね。同じ絵でも、使ってる画材が油絵とペンタブでそこにいる人たちのおもむきも変わってくると思います。何か始めるのが億劫なら、映画鑑賞とかでもいいかもしれないです(そういうサークルもあります飲みサーとかも)。まぁ、いやすいところにいればいいわけです。

まぁ、自由でも人とガンガンつながれる人も多いと思いますが、人間関係が存在するということはイコール自由が奪われるってことだと思います。(絆の語源は束縛って意味的な)

ちなみに、サークルって組織が大学に存在しているまさにこれが理由です。先生たちからしたら、勝手に問題を起こすサークルは「学生の孤立を防ぐ」という機能がなければ無駄なもので、大学側からとっくに消滅されていると思います。

でも、サークルに入るのが性に合わないという人もいますよね。そしたら、バイトなり、ボランティアなりなんでもいいと思います。

僕が今一番良く会っている友人は、たまたま参加した2日間ボランティアでなんとなく話した人だったりします。どこでも仲間を作ることは可能なのではないでしょうか。

ただ、組織によって若干そこにいる人間の価値観や趣向が異なるのは頭に入れといてください。

バイトだと、同年代じゃない人もたくさんいるし若干閉塞的になると思います。セミナー的なところ出会う人は意識が高くて刺激的ですが、マルチとか詐欺に関わっている人もたまにいます。プグラミングとか就活、資格の塾とか行ったことないですけど、自分も相手もプライベートで付き合おうとは思いにくい気がします。

 

 

結局バランスが大事だと思う

 

自分の話をすると、年末年始実家に帰ったらものすごい閉塞感を感じました。

中学と高校の部活の仲間にそれぞれ忘年会であってきたのですが、ここでは生きていけないなって思ったんですよね。

能動的じゃなくて、完全に受動的に繋がりで良くも悪くも家族みたいな、サッカーをやるにはこのメンバーでずっと過ごさなくちゃならないという環境でできた仲間なので、それはそれでいいんですけど、ずっとこの中で生きていくのはきついと思いました。

しかも、話を聞いていると中学の同級生は中学のときと同じコミュニティーの中で生活しているようでした。

もちろん、地元にいたとしても自分から動けば新しい人間関係を開拓できますが、たぶんみんなそんな余裕はないし、今の環境でも満足してるし、腐れ縁でも仲間がいるのでそれでいいってなるわけです。

で、大学にもこういう関係があっていいと思います。まぁ、伝統的には研究室がそれに当たるんだと思いますが、今所属している研究室みたいにメンバーの関係が希薄な研究室もあるし、濃いところは濃いところでいろいろ大変そうです。

人間関係で困るのは大学生に限った話じゃなくて、就職後も定年後も一生の話だと思います。だから、焦らず自分なりのノウハウをゆっくり見つけていけばいいのではないでしょうか。

 

それでは。