エンジニアを志す自分への戒め
海外のメーカーS社が発売した新作のスマホを見て”んんっ”って思ってしまいました。
基本、僕は海外メーカだと今何かと話題のH社の製品が好きなので、S社の製品は買わないのですが、いままでわりと斬新な製品を出すというイメージでした。
しかし、web広告上のその新作スマホのキャッチコピーは「スマホどうしを重ねて、バッテリーを分けあえる!」でなんだかなーって思いました。出先で誰かのバッテリーがなくなった時、自分のバッテリーに余裕があって、相手のスマホが非接点充電に対応してれば充電して上げれるってことですね。
自己犠牲の塊みたいな製品です。半分くらいの電力しか伝送できないのに自分のバッテリーを減らして、さらに充電している間スマホは使えない・・・。僕だったら、自分のイヤホンなどの充電には使うかもしれませんが、他人のバッテリーがなくなったとしてもパワーシェアできることは黙ってますね。
すこし考えただけで、だれでもそんなん需要ないことはわかる笑。まるでガラケーを生み出してしまった、僕が小中学生だった十数年前の日本のメーカーの仕事みたいです・・・。
盛者必衰の世の中で、S社の命運もついに尽きただけのことかもしれませんが、落ちぶれたんだなと思ってしまいました。
そんな機能いらないから、某国のH社みたいに安くて高性能な製品を作ればいいのに笑。
無接点充電充電自体、物理的にかなり無駄の多い技術なのに、エネルギーの送信モジュールをスマホに仕込むなんて、重さも、モジュール代も、スペースも無駄になって、想像するだけでなんて恐ろしい所業だなと身震いしてしまいました。
まぁ確かに、そんなとぼけた商品を作っていても信者や情弱の人は買ってくれる。でも、未来のないマイナー層を相手して仕事をしているとどんどんジリ貧になっていくと思うんですよね。
ベタな話ですが、中学生の時初めてiPhone 3GSを手にしたときの感動は今も忘れません。某スティーブ氏のiPhoneの発表プレゼンを子供時何度も見てしまいました。エンジニアたるもの使う人のためにモノづくりをしなくてはいけないんですよね。いつかは使い手を感動させられるものを作りたい。
それなのになぜ、人は必要とされないものを作ってしまうのか。自分が意味のないものを作ってしまわないように、そして、いつか本当に役に立つをものを作るために考えたいと思います。
エンジニアは物を作り続けないと死ぬ
エンジニアという人種は生まれながらにエンジニアで、ものを作ることに理由がないんだと思います。
もう仕事とか関係なくて、プライベートでもモノを作るし、ものを作ることしかできないからしょうがなくそれを仕事にしている。
自分もそうですが、学びもモノづくりの中から得る。だから、何かを作ってないと前に進めない。
そうなってくると、生み出して世に出すまでが目的になって、使い手のことなんてどうでもよくなっちゃうんだと思うんです。だって、生きるためにモノづくりしているんですから。
会社的にもメーカーは新製品を出さなければ利益は0なので、アレな製品でも発表しないよりはマシってなりますよね。
作り続けないと、死ぬ。(倒産する)まるで、泳ぎ続けないと窒息するマグロみたいですね。
そもそも最初から、使い手のことなんてどうでもいいと思っている
大学にいて感じるのですが、研究とか開発をしている人って自分が研究・開発したいからしているだけで、それを届ける人がどう思うかなんて気にしていない。
エンジニアとか研究者って大きく分けて二つに分類できると思うのです。
誰かを喜ばせたいからモノづくりを始めた人と、作りたいものを作りたいからモノづくりを始めた人。
もともこもない話ですが、後者の人間はそもそも他人の感動とかを感じ取る感受性がないので、誰かの喜びとかはどうでもいいんだと思います。
これは何も大学に限った話じゃなくて、インターンの経験から企業の人もこういう人が結構多いことを思い知らされました。
じゃぁ、自分はどっちなのかというと、どっちもかもしれません。
確かにこのブログは書きたいことを勝手に書いてますが、自分は閲覧数がものすごい気になりますし、自分の意見の反対意見がどんなものがあるのか気になります。
自分が信じるものを作るのも間違いじゃないと思います。でも、使い手のことを忘れたくはない。難しいですね。
そもそも、エンジニアが作るものは殆ど役に立たなくて、みんなが使っているのもたまたまうまくいったもの
ここまでのことを踏まえると、エンジニアはゴミばっかり作ってしまうどうしようもない人種のような気がします。
これは事実だと思います。
開発と研究は違うので一緒にするのはよくないですが、アカデミックの世界にいると、ノーベル賞を取るのはホント一握りで大体の研究はほとんどゴミです。
これは大昔から変わらないだと思います。昔から、科学者や発明家はいますが、戦前の科学者で知られているのは100人もいないと思います。
ですが、古代から科学っぽいことや、発明っぽいことをしていた人は大勢いて、ゴミしか作れなかったから、名前が残らなかったのでしょう。
スポーツもそうで、野球やサッカーなどのメジャーなスポーツはアマチュアを含めると競技人口は相当な数になりますが、人を感動させるプレーができた人は一握りです。Jリーガーだって怪しいです。
かという僕も、10年以上サッカーを続けてきましたが、どうでもいいプレーヤーだったと思います。
まぁ、別にスポーツは他人に見てもらうためにやってんじゃないので、自分が楽しめればいいと思いますが、やっぱりモノは使われるために作るので、使い手のために作りましょう。
あまりにもひどい製品は作り手すらも使ってるか怪しいと思います。
逆にうまくいく製品は、単に運がいいっていう理由もあると思いますが、座礁しないように開発の進む方向を見定めるプロデューサー的な人がいるんだと思います。
エンジニア自身が陳腐化(オワコン化)してしまっている
これが最も深刻な問題かつ、自分が恐れていることです。
エンジニアという人種は若い時こそ、新しい技術、概念、価値観をリベラルに吸収していく存在ですが、人間ですので年を取ると能力的に新しいことに挑戦することが厳しくなって保守的になってきます。
そうなってくると、時代に合ったものが作れなくなるんです。
正直、日本メーカーがダメになったのも、S社が怪しい製品を作るようになったのも、端的に理由を言ってしまえば理由はこれだと思います。
就活の時、日本のメーカーの中で一番デカいとこの研究所に2週間インターンに行ったのですが、「終ってる」というのが一番の印象でした。その前に10週間行った台湾の国立の研究所の方がましで、台湾の方はいい意味でも悪い意味でも危なっかしい人がいて活気がありましたが、日本のメーカーは公務員みたいな人がモノづくりをしていて、これじゃだめだよねって思いました。
能力的にもしょうがないですが、会社って古いエンジニア多くなるとだんだん、柔軟さが薄れていくんだと思います。
S社もだんだんそうなっていくってことだと思います。国名を言ってしまうと韓国も日本とおんなじでモノづくりの現場もだんだん保守的になっていっているのかもしれません。
なら、どうしたらいいのか
エンジニアたるもの使われるためにモノを作っていることを忘れない
自分が変わることを恐れない
それでも、作るしかない
まとめるとこんなところだと思います。
それでは。