かれこれ4年ほどデータサイエンティストとして働いていますが、やっと物事を俯瞰して見れるようになって(そう感じているだけかもしれない)、いろいろ思うことが増えたのでこの記事を書こうと思います。

AIに人間の仕事が奪われるという主張している人間は詐欺師かエアプ

今回言いたいことは以上です。

これだけだと記事にならないのでどういうことか書いていきます。

AIに解決させたい課題を整理し、導入効果と精度目標を見積もり、使えそうなデータを分析し、学習データを用意して、AIに入力するデータ(特徴量)を算出コードを書き、モデルを構築して、モデルを運用するアプリケーションを構築して、ユーザーに使ってもらえるようにせっとk・・・説明して、フィードバックをもらって継続的にモデルとシステムを改善する。

このプロセスをまともに一回でも回した人は、そう簡単にAIが人間の仕事を奪うなんて言えるはずないんですよね。

まぁ、上にあげた例は真面目にすべてのプロセスをやる伝統的なパターンで今はいろいろな方法で効率化することができますが、個別の課題にAIを適用させてビジネスメリットを出し、人が実施するよりもAIにやらせた方が効率的という状況にするには、一人のデータサイエンティストが背負うにはあまりにも大きなコストとリスクを背負う必要がありますし、何より精神的につらいです。

ただ、データサイエンティストは無理ですとは言わないし、あまりリスクも自ら主張しません(主張するべきだと最近自分は思いますが)。理由はAIやデータサイエンスの世界は困難だらけで、できないと言ってしまったら、あらゆることが勝ち目が薄いと気づかれてしまい自分たちの存在意義もなくなってしまうからです。

膨らむリスクと嵩むコストに追われながら、辛抱強くわずかな勝ち筋を探るのがデータサイエンティストの仕事だと思います。

その状況を知っていれば、あらゆることにAIが適用できると本気で思うわけがないです。現実は業務と技術両方の面から上手にAIの適用範囲を考えていき、人の一部の負担を軽減させたり、人だけではなかなか手が回らない部分をAIが担うことで、AIの開発・運用コスト以上のビジネスメリットを出すという丁寧な仕事が必要なわけです。

それなのに、AIが人間の仕事を奪ってしまう的な発言をする人はAI、データサイエンスが全く分かってない知ったかぶりか、人をだまして社会を混乱させようとするペテン師です。

AIブームが始まってかれこれ10年経つがAIに乗っ取られた仕事なんて世界のどこにもない

AIが人間の仕事を奪うという言葉は自分が学生の時から盛んに言われてきました。就活していたときも「5年後なくなる職業」みたいのをみんな気にしてましたね。

たしかに、あの時代は自分も無知なのでそうなのかもしれないと思いましたし、AIに可能性を感じたので学生時代の研究でAIを取り入れたわけですが、あれから何年たったと思いますか?

(ちなみに大学院を卒業するころにはうすうすAIはそこまで強力な技術ではないことに気づき就職してまでAIをやる気はありませんでしたが、AIに関わってしまったことで就職してからも関連するプロジェクトにアサインされるようになってしまいました)

2024年も「AIが仕事を奪う」と言ってるいる人はさすがに学習しなさすぎると思います。

AIが人の仕事を奪えるんだったら、とっくにいくつかの仕事はAIに置き換わっているでしょう。

あなたの仕事だってきっと一部は置き換わって業務時間は減少しているはずです。

でも、世の中の人で不足は解消してないし、AIのおかげで業務時間が減った人なんてほとんどいないと思います。ましてやAIによってなくなった職業なんて聞かないですよね。

Amazonやウォルマートによって職を失って怒っている労働者はテレビに映りますが、AIによって職を失ってキレている労働者なんて見たことがありません。

AIよりも、一般的な業務システムやwebサイトの方がよっぽど人間の業務を効率化してきましたが、それでも労働環境に破壊的な影響は及ぼしてないと思います。まえよりも少し業務時間が短縮されたり利益が増えたり。それくらい、

AIがどんなに普及しても人が働かなくちゃいけない理由はAIは責任をとれないから

AI導入プロジェクトもいくつも経験する中で、常に感じてきた、最終的に残る明らかな壁はAIが責任をとれないことです。

普段、意識するこてはないかもしれませんが、経済活動では責任をとるということがものすごく大事なんですよね

何か問題が起きた時に責任を取らされる人がいて、その人が何か起きないように努力する。そして、起きてしまったら自らの損失をもってその問題に対処する。これが働くことの基本だと思います(とくに資本主義の世の中では)。

企業で働いていると、いわゆるエグゼクティブな人は責任をとるのが仕事みたいに思えます。彼らがもしもの時は責任をとってくれるから下っ端はチャレンジがきるわけです(いざとなったら責任をとってくれずに自分が首を切られるかもしれませんが)。

投資は責任をとる行為そのものだと思います。上手くいかなかったら損失を被って破産するし、上手くいけば恩恵を独占できるわけです。

株式会社で働いていると、資本主義経済では実際に汗水たらして働く人(下っ端の労働者)よりもその責任を負う人(経営層や株主)の方が発生した利益を多く分配されるように感じます。

それがいいかは別にして、それほど責任をとることは重要なのです。

それが、できないAIはビジネスのプレイヤーとしては失格なんですよね。法人でも個人でもないAIは法律用語である人格が認められていないので、減給されることも、左遷されることも、罰金を払うことも、刑務所に入ることもできないんですよね。

例えば、ある製品の検査AIがあるとして、検査で見逃した欠陥のせいで不良品が出てもAIは責任をとることはできません。

生成AIによるAIエージェントが注目を集めていますが、AIエージェントによって一部のタスクを担うことができても、AIエージェントの上司として、振る舞いを監視し、間違えがあればただし、AIエージェントの間違えを見逃してしまったその責任をとる人間が必ず必要です。そして、タスクによってはだったら自分でやってしまった方がいいタスクもあるでしょう。

その最たる例が自動運転だと思います。

自動運転AIはどんどん進歩したとしても、絶対に人を轢かないAIは作れません。日本では年間3000人の人が交通事故で亡くなっていますが、AIに運転させてもその数よりは減るかもしれませんが、永遠に0になることはありませんし、完全な自動運転車が開発されても最初の頃は人よりも事故を起こす確率は高いと思います。

たとえ、年間数十人でも人が命を落とせば誰かが責任をとる必要があります。

事故が起きれば運転者が責任をとり賠償金を払うなり、刑を受けるなりして日本の交通は成り立っているという側面があります。

AIが運転するようになっても誰かが責任をとることになりますが、それはAIを開発したベンダーなのか、自動車会社ないか、保険会社なのか・・・。

開発企業が責任をとることは難しいと思います。数千人の命の責任を企業が負うのは無理です。となると、乗車していた人ですが、自分が運転してないのにAIがミスを犯したら自分のせいになる事実をのめる人はいないと思います。

ということで、ブレーキとハンドルは人間が当面は持ち続けることになると思います。

同じことがあらゆるビジネス現場でいえるんですよね。

つまり、手は動かさなくてよくなっても、AIの判断を監視し、間違いが起きればAIの代わりに責任を負うそういう存在として人間はこの先も働き続けないといけないわけです。

そして、AI技術が進歩したとはいえ、そこまで精度が上がったわけでもなく、逆にChatGPTのような大規模なモデルはどんどん運用コストが上がるわけですから、なんでもかんでもAIが適用できるわけがないんですよね。

はい。最近言いたいことを一気に言葉にしてすごいすっきりした気分になりました。やっぱりブログっていいですね。

なりふり構わず、AI導入!DX推進!と叫んでる人はいい加減目を覚ました方がいいです。モデルを組んでシステム化してみればそれが自分がどれだけ無謀なことを言ってるかわかります。

AIやデータサイエンスへの根拠のない期待を完全に取り払って、あまり強力ではないITの一要素技術としてAIがビジネスメリット出せるか判断することがAIプロジェクト成功のもっとも重要なことだと思います。

ただ、そのリスクとコストを正しく判出して期待値算出すればAIの適用先はそんな簡単に見つからないです。なので、これからもこの業界に関係する人はそれを見極める目を養う必要があると思います。

それでは。