自分の性格を一言で言ってしまえば、「自己中心的」です。

他人から見れば、自己中心的以外の何者でもなくて、小学生の時の担任の先生から「世界はお前中心にまわってるんじゃない」とよく言われていましたが、そのまま大人になってしまったのだと思います。

ただ、最近自分はなぜ自己中なのかということをよく考えるのですが、「自分が世界の中心で周りの人を翻弄していいと思っている」というかんじではなくて、自分の心の中を正確に表すと「自分が認知している世界に自己以外の存在がなにもない」という感じです。

「いや、そんな人間いないでしょ?」、「それじゃ、社会生活がまともに遅れないんじゃない?」って思われると思いますが、これまでの自分は、周りに「マイペース」、「自分勝手」といわれながらそれで普通に?やってはこれてたんですよね(少なくとも自分自身は騙し騙しやってこれた気がしている)。

物心ついた時からそんな感じだったのですが、そんな自分を心配してか、親が幼稚園からサッカーをやらせていて、大学生まで部活という組織の中で生きてきたので、そんな自分でもなんとか繕って生きていくすべをチームスポーツの集団生活の中で学んだのだと思います。

さらに学校では、自分の本性を知ったうえで、しょうがないやつと思いまながら認めてくれている部活の仲間によって守られていたので、特に問題なかったとは言いませんが、人並みには生活はできていました。

そんな自分の周辺の人々への認知は、RPGにおけるNPC(ゲーム内でプレイヤーによって操作されずにプログラムによって動く登場人物)のようなもので、自己と関わり合いながら存在しているけど、自分とは根本的に違っていて、命とか心を本質的に感じられないものなんですよね。

話はズレますが、本当に小さいときから親犬から離されて、成犬になるまで他の犬と関わらせず人間に育てられた犬は、自分を犬だと認知することができず、散歩先等で出会う犬たちとのコミュニケーションで上手くコミュニケーションをとれなくなるみたいなことがあります(長年犬を飼っている人はなんとなくわかってもらえると思いますが)。

まさに、自分はそんな感じで、自分自身は「この世で人間なのは自分だけ」と思っています。これを外から見れば「自分が人間だと認知できてない人間」ということになっているわけです。

それで30年間生きていて、家庭と仕事において最近精神的ににっちもさっちも行かなくなっています。

細かいことは察していただきたいですが、要はいままでシンプルに保とうとしてきた人間関係が年相応に複雑化してきて自己中心的で自分を人間だと認知できていない人間が精神的に対処できる範囲を超えてしまっているわけです。

正直、「そんな人間なんだからわざわざ人生において人間関係と複雑化するような選択肢をとらなければよかったんじゃないか?」、「なんなら、一人で山とかに籠って一人で取り組める仕事につけばよかったのではないか?」と思うこともありますが、真逆の選択をとってしまったせいで限界が近づいていると感じています。

結局、プレイヤーが操作するキャラクターが1人だけのRPGでもNPCは何人か配置されないと物語が成立しないように、身勝手なことを言いますが、「世界に命と心を自分にしか感じられない存在」も他者の中にも身を置く必要はあるんです(ただ、もいちょっと逃げ道をさがしてもよかったのではと思うこともあります)。

さらに、自分も周りも物理的にでは精神的に崩壊し始めている理由をもう少し具体的に分析してみると、諸悪の根源は自分の共感性のなさだと思っています。

根本的に自己以外に心の存在認めていないので、共感しようにも共感できる自分以外の心が普段ないのです。なので、日頃他人の心を意識するという機会が極端にすくなくなってしまっています。

共感ができない人の中には、相手の心理を間違って読み取ってしまう人もいますが、自分はそもそも読み取ることをしないタイプだと思います。

それで、いざ必要性に駆られて相手の心を認識しようとしても、生まれてこの方極端にそれをしたことがないので、共感というものをどうやってすればいいかわりません。ひとにどうやって共感すればいいのか尋ねると、共感は意識してするものではないと言われてしまうのでもうお手上げです。

思えば、子供の時は自分は共感をしなくても、集団の中で協調しているように取り繕って生きる方法だけを学ぼうとしていたのだと思います。でも、それは根本的な解決方法ではないことに気づきませんでした。

そんなこんなで30歳を超えてしまい。仕事や家族を前にしてどうにもならない感を感じるようなってしまい、暇さえあれば山に籠る妄想をするようになりました。

そんな自分が今できることは、相手に心があることを意識的に思い浮かべて、継続的に共感することを習慣化することだと思います(ただ、少し実践して気づいたことは、自分は共感することに慣れてなくて、すぐに精神的に疲労するんですよね・・・詰んでます)。

で、やっぱりこういうのは人生の早いうち、できたら物心ついたらすぐに習得すべきだなと思うわけです。30超えてからやるのは正直しんどいです。冒頭で幼稚園の年長からサッカーを親にやらせられていたと書きましたが、それ以前は幼稚園や保育園にもいかず、実家は自営業で両親とも忙しかったので家で一人で籠っていることが多かったのが1つの原因な気がします。

あとは、遺伝的な問題もあるんだと思います。母は「犬の顔は見分けられるが、人の顔は全部同じに見える」みたいな自分と同じようなことをたまにいうので、この形質は母親譲りなのだと思います。

となると、子供には同じ目にあってもらいたくないですね。共感できないことで一生人生損すると思います。

あーー・・・・・・

それでは。