あと数か月で32歳になるという事実に驚愕しています。

浪人生活を1年して、2年大学院にいたので、社会人経験は少なめですが、それでも大分精神的にはやつれてきました。きっと社会人の先輩方からは、まだ10年も働いてないのだからまだまだと思われそうですが、それでも働き出したころとはだいぶ仕事をするということに対する感覚が違っていますね。

年収の10倍ほどの住宅ローンがあって、そのローンで買った家には子供がいて、今の自分は完全に家族とローンのために働く日本古来の父親像そのもので、とにかく生きるために働くという感じです。

働く理由としては、家族とローンは十分すぎる理由で、それもかなりシビアな設定がされているので、なんの疑問もなく働けます。きっと世の中のお父さんたちはこうやって毎朝の通勤ラッシュでも何の迷いもなく出社していたんでしょうね(私は会社にたまにしか行きませんが・・・)。

ただ、昔の自分を思い出すと漠然と社会人になれば、大そうな働くための大義名分が見つかるのだと思っていたような気がします。

小学生の高学年くらいには漠然と思っていたことで、結局何をすべきかわからないなりに、働く理由を見つけるために修士号をとったりしたわけです。

ただ、自分が思っているような特別な理由は見つかりませんでした。

何度も書いてしまいますが、子供とローンで働く理由は十分ですし、あまりにも強力すぎます。でも、そういう身近な理由じゃなくて、自分には何か特別な働く意義が見つかると思っていました。

そう思った1つの原因に、自分の父の存在があると思います。父は自分が生まれた後すぐに独立して、それからずっと働き続けていました。自分をほったらかして、休む時間を削りひたすら働き続けるからには、さぞかし大そうな理由があるのだろうと子供ながらに思ったし、その父を見て自分もいつかそういった意義を見出せるのではないだろうか?と思ったわけです。

残念ながら、自分はそうではありませんでした。

父に対して、私が違っていたことは、働く意義を見出せなかったのではなく、何をするのかがわからなかったことだと思います。

趣味で少しやっていたプログラミングで稼げればなと思ってIT業界にいますが、私にとっては人生をかけてやるようなことではないですね。すでに飽きすぎて飽きすぎて、あらゆることがめんどくさいと感じています(学校の勉強のようなものですね)。最近は、趣味でコードを書くのも嫌になりましたね。

今さっき、父のことを自分が学生時代、働くことに特別な理由ができると思っていた原因としてあげて、さっそく否定しますが、このタイプの人間は世の中にはたくさんいて、別にその人物の親がみんな働く大義名分を持っているわけではないので、おそらく遺伝子に働く意味を求めるように書いてあるのだと思います。

社会には、一定数働くことに何か特別な意味を見出そうとする人間がいて、その中の大部分は見出そうとしただけで終わって、一部が意味を見出したがそれを成すことができず、ほんの一握りの存在だけが人生においてその意味を成すのだと思います。

でも、働けば働くほど、それは人間の集団としての社会には必要だけど、個人には必要ないことで、個人にとって働く意味はどこまで行っても、生きるということに尽きると思うんですよね。

数十万年もの間、地上を歩き回って日々働き続けた人間の歴史において、その99%の期間、人間にとって働くという行為は、草原や森をひたすら駆けずり回って木の実を収集し死肉を漁っていたわけです。

それは紛れもなく、今日を生きるためだけに費やされた時間だったはずです。働く意味が生きることという原則は文明が世界を覆いつくした今でも、変わらないと働きながら感じます。

それでも、ただ生きるためだけじゃない理由で働いた人もいるから、文明や文化は少しづつ変化していったことも事実なんですよね。例えば、科学技術とかもそうですが、音楽みたいな文化とか、法律みたいな制度って個人がただ生きるためにはそこまで必要のないものだったと思います。

話をもう少しで32歳になる自分に戻しますが、子供とローンのためだけに働く自分は人類の歴史を考えれば至極健全な状態で、これでいいんですが、やっぱりこれまで特別な何かがあると思っていた自分の一部分には虚しさみたいなものもあるんですよね。

でも、それを追い求めるために努力したわけでもなく、何をするのかも見つけられなかった自分に生きること以外の意味を見出せるはずもないですね。

生きるために働ければ十分と思いつつ、今後働いていれば思いがけず働くための大義名分が手に入る可能性もなくはないとも思うので、やっぱり今は働くしかないですね。

それでは。