巷で「人の心」と表現されるとき、それはいわゆる人間性のような概念を表していて、他人を思いやる気持ちや良心を指していると思います。

最近、その人の心が完全になくなってしまったらいいのになと思うことがあります。

私はきっと人の心が乏しい人間で、それ故にこれまで何度も社会生活を送るのがしんどいなと思うことがありました。

特にここ数が月はそれが顕著で、何もかもから逃げ出したいと思うことがあります。

日々の生活のなかで生きる意味ってあるのか?なんて思うわけですが、今年になって年収の10倍近いローンを抱えてしまったので、死ぬわけにもいきません。

そんな時に思うのですよね。この中途半端に存在する人間性がなかったら生きるのも楽だったのではないか?いまみたいなことにはならなかったのではないか?

自分の中の人の心に従って、人間として生きようとしたためにいろいろ、つらいことがたくさんあるなら、いっそ人の心がない、人ではない何かになって、自分の利益のために人の皮をかぶる。そうやって生きたほうが楽なのではないかと思ってしまいます。

ある程度人間性が豊かじゃないと人として幸福な人生がおくれないなら、自分は人ではないと認めて、人と関わるのは自分の利益のためだと完全にわりきったほうが幸せだし、実は周りにも迷惑をかけずに生きれる気がします。

生まれかりたいとか思いませんが、もし、人に生まれかわることあったら、自分が人並みの人間性をもって生まれることはないと思うので、だったらいっそ人間性を一切持たない状態で生まれたいです。

そしたら、どういう人生を歩むのでしょうか?そもそも、生きる意味すら感じないのかもしれませんが。

今日、妻に私を精神科に連れて行くために、まずは妻がが精神科に行くと言われました。

悩んだすえの決断だと思いますが、かなり萎えますね。手段としては選択肢の1つだと思いますが、自分の萎びれた人の心がヒリヒリと痛んだ感覚がしました。

妻の話のニュアンス的には、鬱や双極性障害といった後天的な疾患ではなく、私は先天的におかしいとのことでした。

仕事でもなかなか状況が良くなくて、自分的には精神的にもかなり追い込まれているという認識ですが、私が人と比較して違うのはそうなので、流行りのADHDとか何かしらの病名はつくと思います。それでも、動揺はしていますね。落ち着くためにこの文書を書いてますが、

妻も努力した結果ですし、自分が夫として生活することができなかったということなので自業自得です。

自分という存在は受け入れられることはなかったし、自分は人として受け入れられ形にはなれなかったのだとわかりました。

情けない表現ですが、拾われて捨てられたそんな気持ちになって傷つきました。

今は心細さを紛らわすために、誰か自分を理解してくれる味方が欲しいなとおもいますが、同時に傷つくことがないように人と関わるのはもうやめようとも思います。

そういうの全部含めて感情を捨ててしまいたいです。

食べ散らかされた茹で蟹の甲羅から、残った身を引き剥がすように、自分の体に纏わりついた人間性を分離して捨てて、人であることをやめれば、この現状を乗り越えられると思うんですよね。

でも、現実はそうはいかないので子供の成長とローン返済を生きる目的にして、私はこれからも人として生き続けるのでしょう。

でも、今回以外のここ数年の妻との出来事を私は許すことはできないと思いますし、それは妻も同じでしょう。

人を辞めたいと思いながら人としてあと何十年も生きないといけないのは、虚しいですね。

むしろ、今すべきことは人間性の獲得なのはわかってます。

でも、それができない心情を私のわずかな人間性が、誰かに理解されたいと思ってしまいます。問題の本質はありのままの自分自身が好きすぎることにあるのかもしれません。物心ついた頃から自分を可愛がりすぎて、妻含めて周りが見えていないのでしょう。

だったらなんで結婚したんだって話ですよね。